精神安定剤としてのDX/道標(みちしるべ)としてのDX
「DXの定義を知りたい」
ITトレンドの講義や講演で、こんな質問を頂くことがあります。
「この取り組みはDXになるのでしょうか?」
事業戦略のご相談で、このようなご確認を頂くこともよくあります。
まるで、「正義とは何か?」、あるいは、「自分は正しいことをしているのか?」を誰かに教えてもらおうと、問いかけているようにも聞こえます。
DXの定義と解釈
社会現象としてのDX
2004年、スウェーデン・ウメオ大学のエリック・ストルターマン教授が、始めて使ったとされる「デジタル・トランスフォーメーション/DX」とは、次のようなことです。
「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させること」
当時の日本のインターネット人口は6,284万人(66%)、Facebook、mixiがサービス開始し、Googleが IPO申請をした年です。インターネットが黎明期から普及期へと移行しつつある時期で、一般の人々が、インターネットを日常のものと感じ、関心を持ち始めた時期でもあります。
曖昧ながらもデジタルの可能性に誰もが期待持ち始めた時代に、ビジネスや社会をどのように捉え、研究を進めていくべきかを述べた論文の中で、DXという言葉が使われています。
ビジネス変革としてのDX
2010年代に入り、デジタルは、さらに身近になり、日常生活やビジネスに於いて、もはや無視のできないものとして意識されるようになりました。当時の日本のインターネット人口は9,462万人(78%)となり、誰もがインターネットを当たり前に受け止める時代になりました。2007年(日本では2008年)に発売されたiPhoneは、この年、最新機種であるiPhone 4を発売、合わせてiPadも発売されています。また、Android搭載のスマートフォンが発売され、インターネットの利用は、常時接続/常時携帯が当たり前の時代を迎えました。
スイスのビジネス・スクール・IMDの教授であるマイケル・ウェイドやガートナーらが、「デジタル・ビジネス・トランスフォーメーション」という言葉を使い始めたのもこの頃です。
この言葉は、ストルターマンの言う社会現象、あるいは研究方針としてのDXとは異なる概念で、デジタルを前提にビジネスの変革の促す言葉として次のように解釈されています。
「デジタル技術とデジタル・ビジネスモデルを用いて組織を変化させ、業績を改善すること」
その後、「デジタル・ビジネス・トランスフォーメーション」は、「デジタル・トランスフォーメーション」という言葉に置き換えられ、2018年に経産省が公表した「DXガイド」にも、この文脈での解釈をDXの定義として掲載しています。
「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」
いま、私たちが使っている「デジタル・トランスフォーメーション/DX」の直接の系譜をたどれば、「デジタル・ビジネス・トランスフォーメーション」であり、ストルターマンの述べた「デジタル・トランスフォーメーション」とは、無関係ではありませんが、同義ではないことを心得ておくべきでしょう。
道標としてのDX
言葉の定義や解釈、その使われ方は、時代とともに変遷します。それは、社会の状況やニーズに沿うものであって、いつの時代にもあることです。例えば、AIやクラウドの解釈についても、時代とともに解釈や扱われる対象は、大きく変わっています。
改めて、いまの時代のDXとは何かを問えば、私は次の解釈がふさわしいのではないかと思っています。
「デジタル前提の社会になって、これに対処できなければ企業の存続もあり得ない。そんなデジタル前提の社会に適応するために会社を作り変えること」
未だ古きよき時代のアナログな社会を前提とした、雇用制度や働き方、ビジネスス・モデルや業務プロセス、意思決定の仕組みや組織のあり方などをそのままに、デジタルを使って効率や利便性を高めることに留まっている企業は少なくありません。何もそれが悪いわけではありませんが、これでは、やがて時代の変化に対応できなくなってしまいます。
根本的、本質的に、自分たちのパーパスから問い直し、会社そのものをいまの時代にふさわしいカタチに作り変えなければ、企業の未来はありません。そのための変革をどのような言葉で表現するにしろ、取り組まなくてはならないことです。
DXという言葉の定義や解釈ありきではなく、いまの自分たちが置かれている現状を冷静に捉えれば、自ずとやるべきことは見えてくるはずです。これに真摯に向き合い、変革を進めれば、結果として、DXの実践につながるのだと思います。
定義や解釈は、道標に過ぎません。実践し迷ったときに、振り返り立ち返る指針です。まずは、定義や解釈などに囚われず、自分たちの於かれている現実を見据えて実践することだと思います。その時に道標をふり返りつつ、進むべき方向は間違っていないことを確認すればいいのです。
なぜ道標が必要なのか
まずは、課題を徹底して議論し明確に定義し、これを解決することが事業の目的です。この目的を達成するために、戦略を立て、これを実現するための手段に知恵を絞ります。そして、優先順位を決めて実践し、結果から議論して戦略や手段を改善しつつ、目的に邁進してこそ、事業の目的は達成されます。これはビジネスの基本であり、異論の余地はないはずです。
ところが、最終段階である手段の実践は、試行錯誤の連続であり、「どういうやり方(手段の選択と使い方)ならうまくいくのだろう?」と焦燥感にさいなまれ、時間や意識は、ここに吸い取られてしまいます。
あるいは、手段ありきで、例えば、「AIが流行りなのでAIを使って何かできないだろうか」となり、どうすればこの手段をうまく使いこなせるだろうかに終始してしまいます。
そういう時には、往々にして「目的の達成」が置き去りにされ、「手段の成功」にばかり意識が向いてしまいます。そんなときに役立つのが道標です。
「DX」という道標(つまり正しい解釈)は、デジタルを使うことではなく、デジタル前提の社会に適応すべく様々な変革にとり組むべきことを示しています。
デジタルを使うことは有効な手段ではありますが、デジタルを使うこと意外にやるべきことは沢山あります。例えば、次のようなことです。
- もはや時代にそぐわなくなった「いまの自分たちの常識」を明確にし、過去の因習に縛られた暗黙の了解やタブーをもあからさまにして、何を辞めるかを決めたること。
- その上で、既存のやり方に囚われないない新しいこと、例えば、ビジネス・モデルやビジネス・プロセスの変革、雇用制度や働き方の改革、組織や体制、意思決定の仕組みを変えること。
- これを実践し、結果から議論して、改善を高速に繰り返すこと。
このようなことを当たり前にできる会社に作り変えるための変革がDXです。デジタルは、そのための手段にすぎません。しかし、いつしか手段の成否に一喜一憂し、手段の成功が目的化されてしまいます。本来の目的は置き去りに、カタチばかりの「DX的」な取り組みに終始してしまいます。
こんな時にこそ、DXの正しい理解や解釈が、手段を実践する上での迷いを払い、本来の目的に立ち返る機会を与えてくれるのだと思います。
実践を伴わず定義や解釈を先行させ、ここで満足してしまう。あるいは、定義や解釈を自分たちの現実に都合がいいように変えてしまい、「やるべきこと」ではなく「できること」をやろうとする。そんな「易きに流れる」ことを戒めるための、あるいは「やるべきこと」を見失わないための「道標」が、DXの定義や解釈なのです。
精神安定剤としてのDX/道標(みちしるべ)としてのDX
冒頭のようにDXについての拙速に解釈や定義を求め、いまやっていることとの整合性を探り、「DXをしていることにしたい」という気持ちも分からなくもありません。しかし、「DX」を100回唱えれば、全てが解決される魔法の呪文ではありません。「DXをした」ことにして、自己満足を得ても、事業の成果に結びつくことはなく、変化に対処できないままに、事業や企業の存続を危うくしてしまいます。
このような言葉に囚われず、時代の変化を俯瞰して、真摯に「会社を作り変える」ことに取り組めば、それは結果として、DXになるのだと思います。
言葉の定義は、「やるべきこと」を実践する上で、道を外さないための道標です。道標がわかりやすく正確であることは大切ですが、実際にその道を歩まなければ、道標は何の役にも立ちません。
実践なく言葉だけでDXを知っても意味がありません。残念なことですが、言葉だけを知って、実践もなく、ましてやその言葉を十分に議論することもなく、「できること」で折り合いがつくように、都合良く解釈していしいるようでは意味がありません。
「デジタル前提の社会に対応すべく会社を作り変える。」
これは大変な覚悟が必要なわけで、直ぐには成果を見通せません。だからこそ、できる範囲での改善を「変革」だとか、「DX」という言葉に言い換えることや、「DXであることのお墨付きを第三者からもらう」ことは、精神の安定を図るにはとても役に立ちます。さらに、その言葉を都合良く解釈して、自分たちのできる範囲で、行動を予め規定してしまえば、「いまの常識の延長線上」に施策を考えればいいわけですから、精神の安定にはかなりの効き目がありそうです。だからと言って、変革が進むわけではありませんし、世の中ことを見なくなってしまいますから、いつしか社会や顧客から見放されてしまいます。
道標としての「DXの定義や解釈」をしっかりと自分たちの進むべき道に据え付け、実践の道を歩むこと、そして、手段の目的化に陥って道を外しそうになったら、「あるべき姿」の書かれた道標に立ち返ることが、必要なのだと思います。
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