定年まであと少し、それまではこれまで通りのやり方で済ませたい
機械学習のアルゴリズムである深層学習(ディープラーニング)が注目されることになったのは、2012年です。この年に開催された国際的な画像認識アルゴリズムの性能コンペで、深層学習を使ったソフトウェアが、他に大差をつけて圧勝したことが、きっかけでした。
ディープラーニングは、当初こそ画像認識のアルゴリズムでしたが、その後、言語、音声などにも使われ、文章の生成、対話応答、機械翻訳などにも使われるようになりました。また、異常検知や病気の診断、創薬の支援、物理や数学の新しい証明方法の発見など、その応用範囲は、拡大し続けています。まだ、登場して10年ほどの技術ですが、既に私たちの生活やビジネスに広く使われるようになりました。
そんなディープラーニングを土台としたLLM(大規模言語モデル)は、いま爆発的な広がりを見せています。流暢な文書を生成するChatGPT、説明文を入力すれば画像生成するMidjurnyやStable Diffusion、同様に動画を生成するRunway Gen といったサービスが、火山の爆発のように一気に吹き出しました。また、GitHub Copilot、Copilot in Power Platformなどのシステム開発支援、Office365 Copilot、Adobe Fireflyなど、身近な業務への適用も拡大しています。
今後、RPAにも適用が拡がれば、大量の定型携業だけではなく、もっと高度な知的力仕事にも使われるようになり、オフィースワークの相当部分が、置き換えられてしまうかも知れません。
インターネットが登場したのは、1990年です。1990年代、企業が会社のホームページを作ると、そのことが日経新聞に掲載されました。30年程前の話しです。スマートフォンは、2007年に発売されたiPhoneがきっかけとなりました。いまから15年ほど前の話です。
インターネットの登場から30年、スマートフォンの15年、ディープラーニングの10年と、デジタル・テクノロジーの進化は留まることはなく、その適用範囲は拡大し続けています。そして、もはやそれ以前の状態に戻ることをできなくしてしまいました。
DXの喧騒は、このようなデジタル・テクノロジーの進化を企業が積極的に取り入れなければ、社会から退場させられるのではないかとの漠然とした危機感が、背景にあります。
その一方で、自分の仕事が奪われてしまうのではとの懸念や新しいことをやることへの面倒さから、「総論賛成、各論反対」で、なかなか実践に結びつかないという現場もあるようです。その裏には、「定年まであともう少しだから、それまでは、自分が身につけたこれまで通りのやり方で、済ませたい。」という本音が、あるのかも知れません。あるいは、「季節が変わって冬を迎えたけれど、衣替えが面倒だし、お金もかかるので、夏服のままで過ごしたい。そのうちまた夏が来るから、少しの我慢だ。」ということかもしれませんね。
ただ、前述の通り、テクノロジーの進化は、加速度を増し社会や人々の行動様式を変え、産業構造や競争原理が変化しています。これは、不可逆的な変化であり、また夏が戻ってくることはないのです。
この変化に適応できなければ、事業継続や企業存続が難しくなります。これ対処するために、ビジネス・モデルや業務の手順、顧客との関係や働き方、企業の文化や風土を変革しなければなりません。つまり、デジタル前提の社会に適応するために会社を作り変えなくてはならないのです。DXは、そのための取り組みです。
だからと言って、デジタル・テクノロジーを使えば、それでいいというわけではありません。簡単に言ってしまえば、いまの人間がやっていることを、できるだけデジタルにまかせ、人間にしかできないことに、自分の役割を移すことです。
デジタル・テクノロジーを駆使して新規事業を立ち上げるにしても、業務の効率化を図るにしても、いかなる課題を解決するのか、どうすれば、お客様や社会が、よりよくなるのか、そのために何をすべきかを決めるのは、人間の興味や関心であり、価値観や情熱です。AIがどれほど進化しても、何をしたいのか、何を解決したいのかは、人間が決めなくてはなりません。
デジタル・テクノロジーは、そういう人間の決めたことを、人間にはできないコスパ、スピード、多様なやり方で実現してくれるツールに過ぎません。デジタル・テクノロジーは、勝手に何でも解決してくれる魔法の杖ではありません。
だからこそ、デジタルにできることは徹底してデジタルに任せ、人間にしかできないことに人間は徹することができるようにしなくてはなりません。そうすれば、ますます人間のできることが増えてゆきます。そうやって、デジタルの役割と人間の役割を最大限に発揮して、両者の相乗効果で会社や社会をよりよいものに変えてゆくことが、DXの目指していることです。
見方を変えれば、DXとは、人間力を活性化し、人間らしく生きる機会を増やすための変革です。デジタルの進化は、この機会をどんどんと増やしてくれるのです。
デジタルの急速な発展は、それ以前の状態に戻ることのできない不可逆的な社会システムや人々の行動変容をもたらしました。このような変化は、これからも続きます。ならば、この変化を積極的に受け入れることです。過去のやり方にこだわり、これを変えようとしない態度は、座して死を待つだけの話しです。
では何をすればいいのかとなりますが、アナログな思いこみや常識を疑い、デジタルでやったらもっと便利になり、自分のできることが増えるのではないかと考え、身近なことから手を付ければいいのだと思います。新しいことを始める前に、まずは「いま」を捨て去ることから始めなくてはなりません。その上で、それを置き換える新しいやり方をデジタルに求めればいいわけです。
これを繰り返せば、そのうち、無理して、頑張ってデジタルを使わなくても、デジタルの良さが自然と身につき、デジタルを前提に考え行動することが当たり前になるはずです。これこそが、DXが目指す風土や文化の変革です。
デジタルを使うことを目的に、使ったことを成果として、「DXを実践したぞ!」と誇っても、それでは、意味がありません。このようなことを繰り返し実践することを日常にすることが、DXの実践なのだと思います。
2022年10月3日紙版発売
2022年9月30日電子版発売
斎藤昌義 著
A5判/384ページ
定価2,200円(本体2,000円+税10%)
ISBN 978-4-297-13054-1
目次
- 第1章 コロナ禍が加速した社会の変化とITトレンド
- 第2章 最新のITトレンドを理解するためのデジタルとITの基本
- 第3章 ビジネスに変革を迫るデジタル・トランスフォーメーション
- 第4章 DXを支えるITインフラストラクチャー
- 第5章 コンピューターの使い方の新しい常識となったクラウド・コンピューティング
- 第6章 デジタル前提の社会に適応するためのサイバー・セキュリティ
- 第7章 あらゆるものごとやできごとをデータでつなぐIoTと5G
- 第8章 複雑化する社会を理解し適応するためのAIとデータ・サイエンス
- 第9章 圧倒的なスピードが求められる開発と運用
- 第10章 いま注目しておきたいテクノロジー