こうすれば「新規事業」は失敗できる
「デジタル・トランスフォーメーション/DX」で、世間は大騒ぎだ。AIやIoTなども誰もが知る言葉となり、その意味が正しく理解されているとは言いがたいが、ウチも何かしなければとの機運は高まっている。
SI事業者やITベンダーもこれを商機にと、DX事業本部、新規事業開発部、デジタル戦略室などの看板を掲げ、新規事業を生みだそうと意気込んでいるが、たぶんそのほとんどはうまくいかないだろう。
なぜそう言い切れるかといえば、基本的な建て付けが間違っているからだ。
そもそも、「新規事業」は目的ではなく手段である。社会やお客様の課題があり、いままでのやり方、あるいは既存の事業スキームでは解決できないので、新規事業という手段でこれを解決しようというのが正しい建て付けであろう。
イノベーションもまた同様で、解決すべき課題があるからこそ、これまでにはなかった「新しい組合せ=イノベーション」によって、解決しようというのが、正しい建て付けだ。しかし、「新規事業を立ち上げること」あるいは「イノベーションを生みだすこと」を目的にしている組織は、手段が目的に置き換わってしまっている。これでは、新規事業やイノベーションが成功する道理はない。
「いままで世間になかったビジネス・モデルだからいいんじゃないだろうか」
「こういう事業をこれまでウチではやってこなかったので、新規事業になるよね」
「ほかの会社がまだ手をつけていないから、やってみよう」
では、何を解決するのか?お金を出してでもそのサービスを手に入れたいと思える価値があるのか?そもそも、いまのやり方を改善する、あるいはムダな業務をなくした方がよほど安く、手っ取り早く解決できるのではないか?
これまでには無かった新しい価値を生みだすことではなく、新しいやり方をおこなうことが目的なっているとすれば、たまたまうまくいったとしても、それは単なる偶然でしかない。
新規事業やイノベーションが目的になってしまうと、つぎのようなことが始まってしまう。
進捗をしっかりと管理しようとする
事業として価値を生みだしていなければ、進捗はゼロになるのは当然のこと。しかし、管理者は進捗を管理しようとしてしまう。それに応えようと、なにかカタチだけでも成果をあげようとなる。それが、お客様の求める、あるいは社会が求める「何としてでも解決したい」課題を解決することではなくても、カタチを作ろうとする。そしてお決まりの言い訳をする。
「まだ、これからだとおもっています。」
そんな取り組みに「これから」はない。
既存事業と同じ基準で評価し、管理しようとする
既存の市場がないから新規事業であり、始めたばかりだから数字の見通しなど示せるはずがない。それなのに「3年後には10億円の事業に育てて欲しい」などと根拠稀薄な精神論を薫陶する。励ましのつもりかも知れないが、このような言葉がプレッシャーとなり、いいアイデアがひらめいても「3年後には10億円は無理」となってどんどんと捨てられてしまう。
また、進捗も既存事業と同じように数字で評価しようとする、すこしでもリスクを排除しようとする、これまで同様の慣例や制約を課すなど、これまでのやり方の枠にはめようとする。既存のやり方を逸脱して成果をあげることが新規事業であるはずなのに、それをさせようとしない。これではうまくいくはずがない。
新規事業に向かない人たちを集めてしまう
新規事業を生みだすのは並大抵のことではできない。なぜなら、既存の常識の逸脱であり、世間の常識、あるいは会社の常識を変えてゆかなければならないからだ。当然に抵抗に遭うだろうし、遅々として成果が上がらないという状況に置かれる。それでも心折れずに理想を貫き通す胆力がなければ、新規事業などうまくいくはずはない。
たくさんの失敗を繰り返し、その失敗から解決の糸口を学び、めげることなく直ちにアップデートして次の行動を起こす。このサイクルを高速で回す。このようなことができるのは、「なんとかしなければならない」あるいは「このままでは大変なことになる」という信仰にも近い信念、あるいは熱い想いがなければ難しいだろう。
ところが、「こんど新事業開発の部門で仕事をして欲しい」と言われ、あるいは、これまでの現場でなかなか成果があげられないので、新規事業部門に"異動させられてしまった"という人たちが集まっているとすれば、そこに常識を逸脱しようという胆力を期待することは難しい。
「異動を機に気持ちを新たに頑張ろう」というのは素晴らしいことだが、なんちゃって仏教徒から原理主義イスラム教徒へと改宗するぐらいの話しなので、これはなかなか大変なことだろう。
もちろん、全員が改宗できなくてもリーダーにそういう人がいれば組織を牽引することもできるかもしれないが、よくある話しで既存の事業部門の責任者が兼任することも多く、これではうまくいくはずはない。
人は、追い込まれると、合理的な行動をとるのではなく、一発勝負に打って出ることがよくある。これはノーベル賞を受賞したカーネマンが提唱した行動経済学の代表的な成果であるプロスペクト理論でも示されている。つまり、不確実性が高い状況にあっては、損失の発生が予想されると、合理的な選択よりもリスクの高い選択に傾きがちになるということだ。
様々な希望的な観測を積み上げて、「うまくいくに違いない」という幻想を描き、必勝の精神で一発勝負を賭ける人間の行動心理が、合理的な考えを駆逐してしまうということだ。
かつて、日本軍が勝ち目のない戦争に突き進んだのも、このプロスペクト理論で説明できると『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く(新潮選書)』の著者、牧野邦昭・摂南大学経済学部准教授が指摘している。
もし新規事業が、同様の前提で進められているとすれば、あるいは、追い込まれた末の新規事業であるとすれば、かつて日本が戦争に敗れたように、その新規事業もまた多くの屍を積み上げることになるだろう。
新規事業を生みだすことを目的にするのではなく、何を解決するのかをあきらかにし、何が最善の解決策なのかを徹底して突き詰めることが大切であろう。最善の手段が新規事業ではなく、既存のやり方を辞める、あるいは改善することであるかも知れない。「課題を解決すること」が目的であるとすれば、手段がどうであれ、それは立派な成果として評価されるべきだろう。しかし、それは新規事業ではないからダメ!というのはおかしな話しではないか。
「新規事業を立ち上げること」を目的にすべきではない。
大切なことは、世の中を、あるいはお客様を、あるいは自分たちを幸せにすることではないか。