汚い提案書を平気で持ってくる残念な人
ある市庁舎の建て替えに伴い、構内および市施設のネットワーク構築に関して提案コンペを実施することになった。私は、その審査基準の策定と審査に関わることになった。
3社から提案があった。私は金額以外の提案内容を評価するように求められた。私は、会社名を伏せられた提案書を受け取り、自分で作った評価基準に照らし合わせて、評価をすることとなった。
内容を見て驚いた。どの提案書もほぼ同じ機器構成であり、工事の内容や期間もさほど変わりがない。まあ、そういう要求仕様書だったのだろうが、これほど同じような内容になるとはと想いながらも、迷わずある一社に高い評価を与えることにした。その理由は、「美しさ」だった。
華美な装飾やイラストが盛られているわけではない。わかりやすい章立てとバランスの取れたレイアウト、見やすい図表に適切な用語と表現など、見ていて心地が良かった。
これに対して、他社の提案書は、内容こそ変わらないが、資料に張り込まれた図表が、あまりにも細かすぎで要点が掴みにくいこと、箇条書きや文字フォントの扱いが統一されていないこと、章立てや表現が読み手への配慮をかいているなど、読むのに苦労させられるものだった。
「内容が同じなら評価を変えるのはおかしい。」
そう思われるかもしれないが、私は決してそうは思わない。「美しさ」は、相手に何とか分かってもらおうという意志の表れだ。そのことを評価させて頂いた。そして、このことは、とても大きな意味があると思っている。
ビジネスは、コミュニケーションによって成り立っていると言っても過言ではない。どんなに優れた技術や製品を持っていても、それを相手に伝え、納得させてこそ、ビジネスは進捗する。コミュニケーションがうまくいかなければ、状況や評価をうまく共有することができず、仕事は捗らないであろう。これからシステムの構築を任せる相手に、その意志と能力がどれだけあるかを評価する基準が「美しさ」なのだ。
実際に作業が始まれば、打ち合わせもあるだろう、また、問題も生じることもあるだろう。そういうときに、自分達のために作ったわかりにくい資料をそのまま提示し、ぐたぐたと専門用語を駆使し、これでもかとわかりにくい説明をして、説明したことに自己満足されるような相手では、時間もかかるし、ストレスも募る。仕事の効率を図りたいのなら、例え技術力はあっても、そういう相手は極力避けたい。「美しさ」はそういう相手を見極めるひとつの判断基準と考えてもおかしくない。
別の話であるが、以前、あるITベンダーの営業が、情報システム部門に提案書を持ってきた。しかし、その提案書はとても“汚い”ものだった。
会社の用意しているパワーポイントのテンプレートに見積書の書式や製品ベンダーが提供するプレゼンテーションをそのまま切り貼りし、当然、ページによってフォントも違えば表現もまちまちになり、テンプレートなど無視して、そこからはみ出している。よくまあこんな“汚い”「提案書」を、平気で持ってくるなぁ、と思ったことがある。今回は、流石にそこまでひどくはなかったが、根っこは同じだろう。
「それは営業個人の能力の問題であって、会社の評価と同じではないはず。」
そんなご意見もあるだろうが、それも違うと思っている。
そもそも、会社の名前を冠して、提案書を出す以上、当然しかるべき立場の人間が確認をするはずだ。それでも、平気で“汚い”提案書を出させているのであれば、それは、その組織が「何とか分かってもらおう」という文化を持っていない証拠だ。そういう会社と付き合って苦労するのは、できれば御免被りたい。
じゃあ、どうすれば「美しい」提案書が作れるかについては、昨日のブログでも触れさせていだいたので、よろしければ参考にして頂きたい。もうすこし、実践的なノウハウは、改めて書こうとは思う。
「美しさ」というものは、意識しなければ、生まれない。また、そのことは、それを受け取る人への思い遣りの表現でもある。そのことを忘れないようにしたいものである。
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ITビジネス・プレゼンテーション・ライブラリー/ LiBRA
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工数で見積もりする一方で,納期と完成の責任を負わされるシステムインテグレーションの限界がかつてないほど叫ばれる今,システムインテグレーターはこれからどのように変わっていくべきか?そんなテーマで考えてみました。