過去の「普通」は今の「普通」ではないことを忘れてはいけない
「過去から学ぶことなんて何もありませんよ。」
一瞬どういうこと?と想いながら話を聞いていた。
「自分の過去の経験や前例は、そのときにはうまくいっても、これからもうまくゆくなんてことはありません。世の中も変わり、相手も変わっている。なんと言っていっても、自分でそれを変えてゆかなければ、生き残ることなどできないと思いませんか。」
なるほど、そういうことなのかと合点がいった。そして、次の言葉を思い出した。
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である。」
進化論を唱えたダーウィンの言葉として、ご存知の方も多いだろう(但し、ダーウィンの著書や論文には、この表現はないらしい)。
SIビジネスもまた、過去の経験や前例にこだわりすぎてはいないのだろうか。昨日、ポストした「納品のない受託開発」についての記事でも述べたが、現実を素直に見れば、従来型の受託開発ビジネスは、多くの矛盾と不条理をはらんでいる。それが分かっているにもかかわらず、「過去にうまくいった」成功体験から、「何とかなる」と考えてしまう。そして、現実に「なんとかなっている」のが、今の状態なのだろう。
「茹で蛙」のたとえのごとく、何とかなっているうちに、鍋の中はどんどん熱くなってゆく。今の状態を例えるならば、そんなところだろう。
今週のブログ「自分達が見えているものなんて、もはや先が見えています」にも書いたが、生産年齢人口が今後大きく減少してゆく。そのことは人手不足を招くと懸念されるが、果たしてそうだろうか。それ以上に、機械化が進み、知的労働さえも置き換えられてゆくだろう。また、SaaSやパッケージに代表される「与えられた仕様」を許容する常識も広く浸透してゆくだろう。そうなれば、エンジニアの数を工数と考えるビジネスは、これまでにも増して厳しくなってゆくことは自明だ。
今を生き延びれば良いというオヤジどもは、それでもいいが、これからを生きる者達にとっては、深刻な事態が待ち受けている。しかし、意志決定は、そういうオヤジたちの既得権となっている。そういう人の中には、「過去の栄光」という何光年も離れた遠くの星の輝きでは、もはや新しい命は育たないことに気付いていない方も少なくないように見える。
過去から学べることがあるとすれば、成功することが、如何にすばらしいことかという体験であり、感動であろう。失敗から多くを学べることの実感のこもった体験である。そのことは、人に勇気を与える。だから、「チャレンジしろ!」ならいい。しかし、方法や手段はいらない。自慢話や精神訓話も余計なお世話だ。
「なんで普通に大学に行かないんだ。」、「なんでバイトなんかして、普通に就職しないんだ。」、「なんで、普通のやり方でやらないんだ。」の類も、過去が正しいという思い込みの裏返しなのだろう。しかし、過去の「普通」は、今の「普通」ではないことも多い。そのことを忘れてはいけない。
過去が今を作ってきたことに敬意を表しつつも、未来のために新しい過去を作ることこそ、大切なことなのだろうと思う。
今週のブログ ---
自分達が見えているものなんて、もはや先が見えています
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工数で見積もりする一方で,納期と完成の責任を負わされるシステムインテグレーションの限界がかつてないほど叫ばれる今,システムインテグレーターはこれからどのように変わっていくべきか?そんなテーマで考えてみました。