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インターネット社会だからこそ価値があるアナログな手紙

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最近、手紙の大切さを再認識させられた出来事が二つ続いた。しかも、二つとも偶然かどうかはわからないが子供に関連したもの。

一つ目は先週のことだ。子供が受けた進学塾の入塾試験の結果がウェッブサイト上から確認できると聞いていたので、事前に知らされていた時間にアクセスしてみた。ところが、算数と国語の試験結果は確認できるものの、肝心の合否の結果がどこにも表示されていない。1時間くらいかけてサイト中を調べてみたのだが、結局わからずじまい。

その夜は子供を慰めて一件落着したわけだが、子供も別に落胆したような様子は感じられなかった。ところが、次の日の午後、私の携帯に子供から電話がかかってきた。なんと、合格したというではないか。

話を聞いてみると、午前中に速達で合格を知らせる手紙が届いたということだった。帰宅してから妻に聞いた話では、子供はその合格通知を握り締めながら飛び跳ねて喜んでいたそうだ。どうやら、子供ながらに試験の結果を気にしていたらしい。子供は今でもその合格通知を大事にしている。

もう一つは、つい昨日のことだ。帰宅すると、「○○先生へのお手紙」と書かれた封筒が机の上に置いてあった。実は、子供の担任の先生が3学期から産休を取っていたのだが、無事元気な男の子が生まれたので、クラスメート全員で手紙を出そうということになったらしい。折り紙も配られていて、鶴も折って渡すとのこと。

先生への手紙は、同じクラスの生徒の母親の提案だという。本当にいいアイディアだと思うし、印刷入りの封筒を全員に配ったりと、その気配りには全く頭が下がる。手紙をもらった先生もきっと喜ぶに違いない。

インターネット社会だからこそ、心を込めることができる手紙は価値がある。メールでも嬉しいことに変わりはないのだが、手紙の方が喜びも倍増するのではないだろうか。手紙でなかったら、少なくともうちの子供は飛び跳ねて喜んだりはしなかったはずだ。手紙の価値をもう一度見直すべきなのかもしれない。

同じようなことはビジネスの世界でもいえる。最近、入社を希望する職務経歴書が添付されたメールが当たり前のように送られてくるが、これにちょっと食傷気味だ。なんか好きになれない。よほどの経験がない限り、わざわざこちらから連絡してまで会ってみたいとは思わない。

ところが、手紙なら必ず封を切って開けてみる。メールを送るくらいなら、多少面倒でも応募書類を郵送した後に電話でアポイントを取ることをお薦めする。面倒なことの方が価値があるし、相手の心にも残るのではないだろうか。

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