■ 抑制と均衡の歯科治療
「なんだ今さら。そんなことも知らなかったのか」
そう言われると返す言葉もないのですが2016年のアメリカ大統領選挙について書かれた新聞記事に私は驚きました。
ドナルド・トランプ氏が当選したものの全国の得票数はヒラリー・クリントン候補の方が多数だったという記事です。
全国の得票数に加えて州の選挙人制度があったからこそトランプ大統領は誕生したのだそうです。
なぜ全国の得票数という単純な多数決ではないのか?
なぜそんな複雑な仕組みになっているのか?
数多くの理由がある中で「抑制と均衡のため」と記事では述べられていました。
多数を握った強者によって少数者や弱者の自由を奪われることは防がなければならない。
その考え方がアメリカの法律の基盤にあります。
多数者の専制を防ぐ考え方は大統領選挙だけでなく米国の政治制度のいたるところで作動しています。
多様なレベルの選挙が、それぞれ異なる仕組みで行なわれることによって様々なところで「ねじれ」が発生します。
すなわち大統領の一存ですべての事柄が操作できないようになっているわけです。
たとえば新型コロナウィルス対策の最前線にいる米国立アレルギー感染症研究所。
その所長のアンソニー・ファウチ氏は大統領と対立したと報じられていますが大統領は所長を直接は解任できませんでした。
こうして「ねじれ」は多数者、権力者の専制を防ぐ効果を持ちます。
「トランプ氏批判、米軍元高官から続出 軍動員に懸念
黒人暴行死事件の抗議デモに対してトランプ米大統領が連邦軍動員を検討していることに、元軍高官から批判が相次いでいる。
退役後も政治的発言を控えることが多い軍OBが、最高司令官である現職大統領を非難するのは異例だ。
国防総省は4日に首都近郊の連邦軍の一部撤収を決めたが、トランプ氏が『強い指導者』の演出に軍を私物化するとの懸念は消えていない。」
参考文献:日本経済新聞2020年6月5日 10:30 (2020年6月5日 17:39更新)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60010260V00C20A6FF8000/
この記事のように軍を私物化し政治利用しようとしたトランプ大統領。
しかし結果的にアメリカは、軍事力を背景としたトランプ帝国のような独裁国家、権威主義体制にはなりませんでした。
合衆国憲法の起草にあたったジェームズ・マディソンは著書「フェデラリスト」(斎藤眞、中野勝郎訳)でこの「抑制と均衡」の理論を展開しています。
「政府自体が政府自身を抑制せざるをえないようにしなければならない」
この文章を読んで私は思わず新聞記事を切り抜いてしまったのです。
なぜなら「政府」を「歯科医師」に置きかえれば歯科治療に当てはまることに気がついたからです。
話は変わりますが
「口の中はひとつの小さな地球である」
そうたとえる歯科医の論調をホームページなどでよく見かけます。
まったくその通りと同意できます。
とはいえ
「歯一本は地球より重い、だから大金かけて自費治療にすべし」
などと目を開けたまま寝言を言いたいのではありません。
口と地球は同じという論調の、何に対して同意しているかと言うと
「アメリカ合衆国をはじめ地球上のあらゆる国のあらゆる場所や組織で認められるような『ねじれ』が、口の中にも同じように存在すること」
に対してです。
・歯を削ると中の神経に影響するから簡単には削れない。
・咬み合わせを変えるとアゴの関節に影響するから簡単には変えられない。
・入れ歯を新しく作ると「今まで使っていた入れ歯のほうが良かった」と合わないリスクがあるから簡単には作れない。
このようなあちらを立てればこちらが立たずのような「ねじれ」が地球上と同じように口の中のあらゆる場所、治療のあらゆる過程に存在します。
とくに保険治療はねじれの宝庫です。
保険点数の高い、つまり保険にしては高額な治療に対しては、数多くの細かいカルテ記載事項や複雑な算定用件があり容易には請求できないようになっています。
間違えるとすぐに返戻、指導されてしまいます。
そんな自分の思いどおりにいかない、もどかしいねじれを嫌がって保険治療をやりたがらず自費治療を勧める歯科医がいるのも気持ちだけはわかります。
とはいえ自費治療にも様々なねじれがあります。
・歯が復活する! と一時もてはやされたインプラント。
・金属のバネがいらない! と宣伝される自費治療の入れ歯。
・女優さんのような歯並びになる! セラミックのかぶせもの。
・目立たず簡単に歯並びを治せる!
最近よくメディアに取り上げられるマウスピース矯正
...デメリットがたくさんあります。
あまり他の歯科医のホームページには載らない内容ですが当院のホームページにたくさん書いたので、具体的なデメリットの内容は割愛させていただきます。
そのような保険治療ではあり得ないデメリットがイヤで私は自費治療を行ないません。
さらに自費治療に対して自分が一番相容れないのは、まるで患者さんの口の中に歯科医の支配する「自費治療の独裁国家」を作っているような気分になってしまうことです。
役に立っているのか、いないのかわからないインプラントが口の中に何本もそびえ立つ姿は、まるで見るものの度肝を抜く巨大遺跡を彷彿とさせます。
歴史に残る独裁者が贅を尽くした建造物や宮殿を次々と建てた例は枚挙にいとまがありません。
実用性はなく今では遺跡として観光名所になっているだけです。
また自費治療をやるために他の歯をどんどん抜いてしまう。
そんな話をよく聞きます。
それは、歯科医の意に添わない歯の排除、すなわち独裁者の意に添わない少数者の迫害、追放、ジェノサイド(大量虐殺)などを自分は連想してしまいます。
様々な国の独裁者をパソコンで調べると
・名家の出身をかたっている
・宗教や外国がバックについている
・強大な軍事力を持っている
そのような話がたくさん出てきます。
いっぽう歯科医のホームページでも
・国立大学で研修(卒業ではない)した
・外国で勉強してきた
・国の認定ではない何となく偉そうな名前の学会に所属している
など権威あるっぽいけど実体の怪しい内容を見ることがあります。
それはまるで独裁者のプロパガンダです。
患者さんを誘導し服従させる意図が見え隠れしています。
もっともそういう内容は実際にはホームページに載せているだけで公的な医療広告ガイドライン違反です。
所轄の官庁の指導や行政処分の対象になります。
もちろん貧富の差、人種差別、治安の悪化など数々の問題を抱えるアメリカの、すべてが正しいわけではないことは私も理解しています。
とはいえ大統領選挙において2016年にはトランプ氏を当選させることで、多数者に対して有力な少数者の存在と力を強烈に印象づけることに成功しました。
そして2020年の選挙で今度はトランプ氏という特異な人格を大統領職から合法的に去らせることにも成功しました。
選挙自体が不正だったかどうかについては、ここでは関係ない話なので述べないことにします。
今回多数派の代表として当選したバイデン大統領も、少数者を無視して「抑制と均衡」を崩すような政治はできません。
トランプ氏の選挙に関するこの二つの成功は、長期的に見て米国政治の健全化に貢献するのだろうと記事では述べられていました。
このアメリカの選挙と歯科治療は同じなのです。
患者さんの口の中は歯科医の私物ではありません。
歯科医師は患者さんの口の中で暴政を敷く独裁者としてふるまわないことです。
自費治療か保険治療かに関わらずジェームズ・マディソンの言葉を借りて
「歯科医師自体が歯科医師自身を抑制せざるをえないようにしなければならない」
そんなアメリカ合衆国憲法のような「抑制と均衡」を常に頭に置いて患者さんと接することが大切です。
こうすることで長期的に見て患者さんとの関係を良好に保ち歯科治療の健全化に貢献できると私は考えます。
参考文献:2020年11月22日読売新聞「地球を読む」
西荻窪 いとう歯科医院 ホームページhttps://www.ireba-ito.com