新しい自分になる努力の仕方
一生懸命やっている人がいる。
しかし、それほどのことをやってはいないという人がいる。
結果として、全く認められないという人がいる。
結構、こういう人は多いのではないだろうか?
会社で遅くまで残業している。
ただそれだけで評価されるような全近代的な会社であれば、
ものすごい評価される人なのかもしれない。
しかし、真実は、アウトプットの少ない、
そして、望ましいアウトプットではないものを発し続けるという姿だ。
そんな人はまともな会社に行けば、全く評価されない。
本人は一生懸命やっているだけに、
その努力している姿は、
何とも悲しい姿にしか見えない。
そのことに本人が気付いていれば、
努力のやり方を変えるということをオススメしたい。
1)本質は何なのか?
何かの作業をやる場合、これが作業であるかぎり、
やってしまえば、いつかは終わる。
何も考えずに、ただただやっつけていくだけの仕事だ。
しかし、立ち止まって考えなければならない。
「やっているこの作業は何なのか?」
何のためにやっているのか?
それを考えるだけでやり方が変わるはずだ。
言われたことをそのままやるだけではなく、
どうすれば効率よく、素早く、正確にできるのか?
それは、本質を射止めないと出てこない。
2)何を求められているのか?
仕事をしているということは、
何かを求めている人がいるということだ。
それは、上司なのか、顧客なのか、同僚なのか・・・。
そして、彼らはその仕事に何を求めているかを考える必要がある。
本質を捉え、さらに求められている核心を捉える。
これによって、やっていることの理由が、すべて解明されるはずだ。
これを考えないために、
できあがったアウトプットが依頼されたものとは、
まったく違うものができてしまう。
経験のある人は多いのではないだろうか?
3)自分を超える
仕事をすること、それも一生懸命にやること自体は悪くない。
その目的が、「誰かに認められる」ことだとしたら、
それは、ものすごく小さなことと言わざるをえない。
評価してもらって、給料をあげてもらうため。
評価してもらって、役職をあげてもらうため。
褒めてもらって、誰かの耳に届けてもらうため。
そんなことを考えていては仕事の本質は捉えられない。
仕事は、人に認めてもらうためにやるのではなく、
今の自分を超えて、新しい自分に変わっていくためにやるものだ。
日々進化することが、結果として、人に認められることになるのかもしれない。
しかし、そんなことはどうでもいい。
今の自分を越えていくために、日々考える。
目の前の、小さな小さな仕事でも、考えて行っていく。
そんな努力が、
本来、行うべき努力だと思う。
弘兼憲史さんの「加治隆介の議」というマンガの冒頭にあった言葉だ。
「オレは残業はやらない主義でね。
残業なんてのは能率の悪い連中のエクスキューズにすぎん」
耳の痛い言葉だと思う人が多いのではないか?