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会社がなすべき当たり前のこと、人がなすべき当たり前のことでありながら、多くの人ができていないことを、いかに行うかを考えるきっかけになればと思います。高杉晋作の辞世の句でもある「おもしろき こともなき世を おもしろく」をブログ名に、日々普通に起こっている会社や社会での出来事を、いかに考え対応すべきかという視点で書いていきたいと思います。

たて笛の授業

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 小学生の頃、音楽会という行事があった。僕はこういう行事が大嫌いだった。この音楽会の日を目指して、1、2ヶ月前から練習をさせられるのだが、そもそも、やらされるのは、よく知らない曲。そもそもの曲を知らないのに、演奏する気ももちろん起きない。そもそもと言えば、たて笛が嫌いだ。ドレミファと順に下から押さえていた穴を外していくのに、どこからかその法則が当てはまらなくなる。さらに、高いドだったか、レだったか、後ろの穴を半分だけ空けるという暴挙に出なければならない。半分って、人それぞれの裁量じゃないか!?半分のつもりでも、1/4ぐらいしか空いていないかもしれない。指が膨らんでいる人もいれば、細くてすぐに折れそうな指もある。それぞれ音が違うじゃないか!

 そんなこんなで、僕は、家でもたて笛を、まったく練習しないため、いつも音楽の授業で居残り特訓をさせられていた。僕のような子は結構いるもので、10人ぐらいは残されていたような気がする。でも、まったくやる気がない僕は、いつも最後まで残される。音楽会の迫ったある日、全体練習ということで、体育館に集められた。今では普通だが、当時の僕は背が低く、なんと一番前の真ん中。つまり、指揮者である、嫌われ気味の音楽のおばさんの前で演奏しなければならなかった。そこまでもまったく練習をしい、"男らしい僕"は、なんとか演奏しているフリをしてその曲を終えた。「終わったー!」という安堵の気持ちも束の間、その嫌われ気味の音楽のおばさんが、僕を指揮棒で指しながら、「お前以外、全員いい!」と言いやがった。世の中が今であれば、ショックを受けた僕は、不登校になり、学校に行かず、大問題になりそうなものだが、当時は、そんなことは日常茶飯事。言われた僕も、そもそもやる気がない。外すならどうぞ!ぐらいの気持ちでいた。当然、また居残り特訓をさせられ、外が暗くなるまで練習させられたのだった。

 たて笛は中学までしかやらず、その後は一切触ることはない。果たして、そんな授業は必要だろうか?何のためにやっているのか?音楽の授業は、自分がやりたい楽器をやればいいじゃないか?いや、もっと言えば、学校の授業として音楽はいらないのではないか?やりたい人は、個別で習えばいい。だって、ほとんどの人は、一生、たて笛どころか、楽器すら、もう触ることがないのだから。ちなみに、たて笛の高いレ(?)は後ろ指を半分空ける裁量が入り込む以上、指で押さえる楽器ではなく、ボタン式にした方がいいのではないか?というどうでもいい提言を小学校の頃からしている。。。

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