「大切な人がいなくなる」ということは「どういうことなのか」考えてみる
私は、片腕をもがれた。
10数年、ともに働いてきた同志を失った。
永遠に続くかと思われた関係が、
ある日突然、ピリオドをうち、二度と戻らないただの思い出になってしまった。
昨年末に起きたこの事態以来、
すべてを忘れられるよう仕事に、読書に、子供との遊びに必死でがんばった。
もう何年もやっていなかった朝まで飲むということもやってみた。
それでも、自分の中の失望は埋められない。
まったく埋められない。
あーしておけばよかった、こうしなければよかった・・・
後悔しか浮かばない。
文句も言いたい。
なぜ、突然いなくなったのか。なぜ、何も言わずにいってしまったのか。
詮無きこととはいえ、頭をよぎる。
そして、日々が過ぎていくと、今度は、自分の中で、
それまでの日々が思い出に、ただの記憶になっていってしまう。
そんな自分が許せなくも思う。
私たちは、毎日を誰かと関わって生きている。
感謝されたり、尊敬されたり、嫌われたり、
憎まれたり、笑われたり、怒ったり、怒られたり・・
そのすべての事象、すべての人々に感謝し、
今を大事に、生きなければならない。
この世から誰かがいなくなるということは、
何十億人もいる世界から見れば、小さな小さな出来事かもしれない。
私たちは、残念ながら、毎日をそんな大きな世界では生きていない。
ごくごく小さな世界で生きている。
だから、私たちの人生で、関わる人というのは、
ひとり一人が意味があり、ひとり一人が大事な人たちのはずだ。
人生において出会うということが奇跡といってもいい。
それほど、人は、限られた小さな世界で生まれ、死んでいく。
だから、ひとりの人がいなくなるということは、本当に大きなことだ。
だから、感謝しなくてはいけない。
どんなに嫌いな人でも、どんなに合わない人でも、どんなに不愉快な人でも。
会った以上は意味があるのだから。
その中でも、大事に思う人はもっともっと大事にし、今、感謝しなければならない。
後悔がないように。
だから、やらなければならない。
大事な人たちとの日々を大事に生きなければならない。
深刻になる必要はない。
気楽に、そして日々を大事に生きなければならない。
後悔がないように。
私はいなくなってしまった同志から宿題を残された。
まったくひどい部下だと思う。
勝手にいなくなった上に、宿題を置いていく。
その果てしない宿題を終わらせなければ、天界で会うことはできそうもない。
微力を尽くして、その志を少しでも叶えることで、
残りの人生を過ごしたい。
日々を大事にして。
後悔がないように。