供託金というの名の広告宣伝費
東京都知事選挙が終わった。
今回も20名を超えるバラエティ豊かな候補者がと知事の座を争った。色々な人物が我こそはと政治家に立候補することは大切なことで、年齢さえ満たせば被選挙権が誰にでもあるということも民主主義の根幹である。
ただし、日本の場合、選挙に出るには供託金がいる。その供託金も決して安いものではなく、一定割合以上の獲得票数がなければ全額没収されてしまうシステムだ。現在各選挙の供託金は次のとおりである。
<供託金額>(単位は万円)
衆院選(選挙区)300
衆院選(比例区)600
参院選(選挙区)300
参院選(比例区)600
都道府県知事選挙300
市長選挙(政令指定都市)240
市区長選挙 100
町村長選挙 50
都道府県議会議員選挙 60
市議会議員選挙(政令指定都市)50
市区議会議員選挙 30
こうしてみると、衆議院、参議院、知事、政令指定都市市長などの供託金はなかなかの高額である。それでも、これらの選挙に立候補する人が多いのは、それだけ政治に対して志ある人物が多いということだろう。
しかし、裏を返せば次のようにも考えられる。
たとえば、今回の東京知事選の場合、供託金は300万円だが、次の「サービス」を受けることが出来る。
・選挙区内の数多くの掲示板に自分の顔写真が貼れる
・NHK、民放に政見放送を制作してもらえる
・制作した政見放送を実際に放送してもらえる
・選挙公報などに名前と主張などを載せてもらえる
つまり、言い方は悪いが供託金を宣伝広告費と考えれば300万円は非常に安い。さらに、いまはSNSやYoutubeなどで自分自身で反響をがっちり受け止めることが出来る。
もし、このような目的で立候補する人物がいるのなら、民主主義の選挙制度から考えれば本末転倒な話だ。選挙を行うこと自体に相当な費用<税金>も必要なのである。といっても、それを阻止する法律も規制もなく被選挙者の思惑でどうにでもなるのが現実だ。
そこで、国民の被選挙権を守りながら、このような行為を阻止するには供託金をもっと高額にするしか方法がないように思うが、それをしてしまえば、資金力がなければ選挙に出られなくなり被選挙権を侵害することにつながる。ましてや、立候補する際に政治信条や政見放送の内容を第三者機関が審査して、立候補の可否を決定するような制度を作ってしまえば、どこかの国と同じになり、もはや民主主義国ではなくなってしまう。
さてさて.........。