寄付行為について考える
日本は欧米諸国などに比べると、寄付文化が根付いていないといわれることが多い。たしかに「世界寄付指数ランキング2016」なるデータを見ると、1位ミャンマー、2位米国、3位ニュージーランド、4位カナダ、5位豪州、6位英国、7位オランダ、8位スリランカ、9位アイルランド、10位マレーシアなどとなっており、日本ははるか下の102位となっている。
また、これらのランキングで面白いのは、先進国、発展途上国に関係なく上位にランキングされていることである。つまりは、お金持ちだから寄付をするということではないのだ。その国のお国柄、宗教観、慣習あるいは税制(寄付すれば所得から免除されるかなど)によって左右されるもののようである。
さて、我が国を振り返ってみると、決して日本の人々が寄付をしないわけではないように思う。内閣府のページによると、寄付額はアメリカ・イギリスとは比較にならないほど少ないが、それでも2010年度で8000億円ほどの寄付を行っている(https://www.npo-homepage.go.jp/kifu/kifu-shirou/kifu-hikaku)。地震・台風などの自然災害や医療機関への寄付、海外の貧困層への寄付などは盛んにおこなわれているように思う。
しかし、どうも我々は寄付という行為を難しく堅苦しいものと捉えているような気がしてならない。よい言い方をすれば、社会貢献のために寄付をしているのだ。
もちろん、それでも構わないのだが、ここで海外の個人が寄付を募るサイト「GoFundMe」を見てみることにしよう。このサイトには、多数の個人が直接さまざまな寄付を求めている。治療費、食料の支援などの緊急を要するものから、学費、自分の夢を実現するための費用、家の修理費用、旅行の費用など多種多様に及んでいる。無論、その寄付を求める声に真の力がなければ寄付は集まらないが、寄付そのものが非常に日常的でごくごく当たり前の行為のように見える。そして、どこかTake&Giveが成立しているようにも思えるのだ。
たとえば1,000円のケーキを買って食べて、十分な幸福感を得られたとしよう。それと同様に、誰かの夢の実現のために1,000円を寄付し、夢を追い求める人と同じ夢を一瞬だけでも感じて幸福感を味わう。寄付とは本来そういうものだと捉えられないだろうか。だとすれば、寄付を趣味にしたっていいのだと思う。コレクターアイテムを買い揃えるように、色々なものに寄付をしたら心は幸福感で満たされるかもしれない。
寄付という行為を、もう少し違った角度から考えてもいいのではないだろうか。