オルタナティブ・ブログ > "エリック松永の道場破り" >

-エリック松永は英語道場だけじゃない!!-

Enterprise Architecture出生の秘密!

»

一般的に1987年にIBMのJohn Zachmanが発表した"A framework for information systems architecture"がEA(Enterprise Architecture)の起源と言われています。実際、それ以後のEAの広がりを考えるとZachmanのコンセプトがEAの源泉になっている事は間違いないでしょう。しかし実は、ビジネスと企業システムを関連付けようとする試みは、Zachmanより以前から始まっていました。

Zachman本人のインタビューによると、1954年、Druckerの著書"The Practice of Management"がEAのコンセプト形成に大きな影響を与えていると言っています。Druckerは組織に重点を置き、組織をマネジメントする事の重要性を訴えました。このコンセプトを企業システムに応用しようとしたのがIBMでした。 元々軍事目的(米国陸軍の弾道計算)で開発されたENIACの完成が1946年。第二次世界大戦の終戦が1945年。以後コンピュータの軍事目的としての優先度が下がり、1952年には商用として世界初のコンピュータUNIVAC、少し飛んで1964年には世界初の汎用コンピュータIBM System/360が発売され、コンピュータは急速に企業システムへと深く浸透していきました。ある意味、Druckerが提唱したマネジメントが巨大化した企業システムにも必要であると考えたのは自然な流れだったと言えるでしょう。

60年代になるとIBMは、本格的に事業戦略、組織さらには企業システムのマネジメントする為の方法論を開発するようになり、Dewey WalkerがBSP(Business Systems Planning)として成果を纏め上げました。これがEAの元になりました。Deweyは論文の発表後IBMを去り、Zachman氏が担当者となりコンセプトをさらに拡張していったのです。

BSPのコンセプトは、戦略を達成する為に必要なものは何か(What)を方法論として記述したものです。Zachmanは、さらに、どのような機能があれば達成できるのか(How)、どの場所で達成できるのか(Where)というスキームでFrameworkを設計しました。業務プロセスは、Howの所で記述され3列の構成になっていました。これが1987年に"A framework for information systems architecture"で発表された、いわゆる”Zachman Framework”の誕生となる訳です。

Zachman Frameworkはさらにスキームを拡張させ、3列に加え、実行する組織(Who)、Time To Market的な発想の時間(When、)、そもそも発想の原点であるビジネスの目的と戦略をWhyとして体系化しました。これが1992年に”Extending and Formalizing the Framework for Information System Architecture”になります。 Zachmanは、インタビューの中でこの5W1Hのスキームは普遍であると言っていますので、このスキームが大きく変わる事はないでしょう。

EAを考える時、コンピュータの起源であるENIACを想い、その背景になった戦争、そして企業マネジメントの発想を与えたDruckerとその背景を考えることによって、そもそもの目的が少しは明らかになったのではないでしょうか?ご参考になれば幸いです。

次回は、EAによりフォーカスをあてて、EAがその後どのような形で応用されているのかを見てみましょう。

References

1.THE FRAMAWIRK FOR ENTERPRISE ARCHITECTURE: Background, Description and Utilities by John A. Zachman

2. Extending and Formalizing the Framework for Information System Architecture : by John A. Zachman

3. John Zachman, the father of enterprise architecture, reflects on the influences and impacts of his "periodic table of the enterprise" Interview by Dan Ruby

Comment(0)