地域おこしを志す若者へ
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地域での仕事に興味があるんです、、という相談を結構な頻度で受けます。ホントのところは都会でのサラリーマン生活に希望や魅力が持てないといった、自分探し系の文脈での話がほとんどですね。この場合、地域おこしというのは手段でしかなく、目的は自分おこしにあります。
最近思うのは、スキルアップだ、効率化だといった都市型のワークスタイルが、実は何も新しいことを生み出していないのではないかということです。組織の中で高度細分化された細切れの職務を短時間で完璧に全うすることは、確かに経営者にとっては使いやすい従業員なのですが、ある意味コンピューターで代替できる仕事でもあります。そうでなければ、これだけ効率化しているのにどうして残業やストレスが減らないのでしょうか。
ケータイはすぐに担当者本人に繋がり、要件を伝えるのに適しています。それによっていつの間にか締切が短期的に設定され、いつも何かに急かされているような感覚が当たり前となりました。メールは意図やくわしい内容を説明するのに優れ、時系列で経緯を追うことができます。それによって殊更に整合性や一貫性が求められるようになり、何だか生産性のない説明のための資料や会議が増えました。社会全体がバージョンアップやモデルチェンジの製品やサービスばかりで、基本的なところは何もイノベーションが起きていません。
便利になったはずのITに振り回された結果、本来は創造的であるはずの人間がルーチンの中に組み込まれている印象がします。そして、そのことを身を以て知ることになったのが東日本大震災であり、電気が止まり、ケータイや交通網が麻痺してしまった状態では無力な存在となる自分自身に危機感を抱く人が急増しました。そんな人たちが、再び地域に目を向けるのは当たり前なのかもしれませんね。
都会での暮らしが自分自身の意思とは関係のないところに多くを依存していたことに気付いたから、地域を目指すようになった人たちが増えています。個人的には、それでも良いのじゃないかと思います。むしろ、地域おこしがしたい!と意気込んで入ってくるよりも、若者が迷いながら地域での様々な経験を積んでくれた方が、長い目で見たらステキなキャリアになると確信を持って言えます。
一軒家を住宅ローン組んで買うよりも、自分で山から木を切って家を建てられる人の方が優雅です。高級フレンチでフルコースを食べるよりも、季節に合った旬の食材を採れたてで丸かじりする方が豊かです。外車を乗り回して首都高をドライブするよりも、軽トラで窓を全開にして田舎道を走る方が気持ちいいです。
もちろん、価値観の問題なので強要する気はまったくないのですが、毎日だいたい同じ時間に通勤して、お昼を一斉に食べて、近しいコミュニティの人たちと飲み会するといった予定調和な人生は、どうやら個人的には退屈すぎるようです。いろいろ振れ幅のある経験をすることができるのは、やっぱり地域だよなぁと最近ちょっと東京に滞在してみてしみじみ思うわけです。
農山村は豊かな場所です。むしろ、最近は人が少なくなっているためにどんどん自然の勢いが増していっています。日々の暮らしのあらゆるシーンにおいて自分自身で判断することが求められ、自分のできることを増やしていくことが豊かに暮らすことと地域を守ることに直結しています。都会の組織の中でもがいていた若者にとっては、とても分かりやすい形で生きている実感を感じられる場所だと思います。
まずは「自分おこし」の観点で数年暮らしてみることは必要なことです。やがて暮らしの中から、本来の人間が持つ創造性が発達していき、都市で暮らしていたときの様々な情報や知識と結びついて新しいことが生まれていきます。そのときになって初めて、都市と農村を結び付ける「地域おこし」を考えればよいと思うのです。それこそが、その人がその地域でやらなければならない、唯一無二の役割となるはずです。
当エントリに関連する過去エントリは以下のとおり。
価値化されていないものを掘り起こす、限界集落の可能性
過疎地だから夢がある。日本の未来をつくる現場。
地域おこし協力隊という、時代の切り込み隊
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