老人携帯と絵文字
息子ナンバー2が携帯を水没させたので、ソフトバンクショップに機種変更に行く道すがら話をしていたときに、いろいろとアイデアを彼が出してきました。
絵文字がiPhoneでようやくサポートされるようになったよ、という話をしていて、絵文字を彼の同級生が使っているかどうか聞いてみたのですが、男子校だからかもしれませんが、あまりいないそうで、絵文字文化はやはり女子なのかなあ、と思ったり。
iPhoneとGmailがサポートしたことで絵文字が国際的に認められるのだろうか、という話になって、ならば絵文字をもっと拡張していって、わたしよりもずっと上の世代が使えるような絵文字というものはどういうのか、という話題に移行。
絵文字が普及していけば、アイコンベースでの国際的な会話というのが成立するかもしれず、中間言語として絵文字が使われる未来というのが来るかもなあ、とわたしは主張。
そうしたら息子#2は、老人・熟年向けの携帯というのは、「絵文字ってお年寄りも使えるのかな。彼らは操作が難しいだろうという見方しかしていて、使えるような文字(絵)セットになっていないのでは」という疑問を出してきました。老人には老人の文化があり、単なる簡易型や文字を大きくしただけはなく、そこを文化的に掘り下げた製品というのが必要なはずなのに、ハードウェアだってそうなってないじゃない、と。
いまの中高年向け携帯電話にその視点がまったくないかというと、そうではないかもしれませんが、ネーミングからしてちょっと小馬鹿にしてないか、と思うこともあります。
高齢化社会は高齢層向けにインターネットのサブセットを提供すればいいというものではないはずです。絵文字の熟年向け拡張や、文字やアイコンの拡大表示を前提としたかっこいいユーザーインタフェース、音声認識やエージェントといった新しい機能を提供するのに適した新しいプラットフォームを作り上げるつもりで取り組むと、とてもおもしろいものができるのではないかという気がします。
実はきょう行われたiPhoneデベロッパー向けのイベントで、iPhoneを使ったさまざまなテクノロジーが披露されたのですが、そのなかにもそのヒントとなりそうなものが潜んでいました。得るものが非常に多かったイベントなので、リアルな出会いというのは有用だな、と思った次第です。息子との会話を含め。