ソーシャルメディア時代のウッフィーと報酬のジレンマ
約半年前、ツイッターのブームの中で「ツイッターノミクス」の中の「ウッフィー」という考え方が、話題となりました。インターネットの社会の中で、お金を稼ぐという営みをするのではなく、人に喜ばれ感謝される行動をし、信頼と尊敬を獲得するいわゆる「感謝貨幣」を貯めていけば、多くのフィードバックを得られるというものです。「モチベーション3.0」もお金よりもモチベーションを高める仕組みを重視しています。
一方、日本では民間の平均給与が過去最大23万7千円の減、そして、採用の抑制や、産業の空洞化など、先行き不透明感が漂っています(関連記事)。そのため、まず、生活や将来のためにお金を稼ぐことの優先順位が高まってきています。そう考えると、ウッフィーのような考え方も、曲がり角にきているのかもしれません。
「ウィキを支えた無償投稿カルチャーの落日」の記事の中では、いくつか興味深い内容が書かれていました。2009年の春頃からオンライン百科事典ウィキペディアの勢いに、陰りが見え始め、ボランティアの編集者が大幅に減少し、極めて深刻な状況にある点が指摘されています。
ウィキペディアの深刻な問題の原因には、既に完成したとか、投稿のルールが複雑になったとか、様々な指摘がされていますが、根本的な問題は、誰もが「ただ働き」なんてしたくないという点が指摘されています。
ソーシャルメディアはツイッターやフェイスブックなど、成長している分野もありますが、ユーザーが集団的な熱狂状態から、変化してきているようです。
今や、アメリカの全世帯の3分の2がインターネットに接続している時代だ。「共通の善」のために無償で奉仕するという発想はやや色あせて見え、ネット上の活動に参加することが退屈に感じられるようになった
本記事の中では、プロのブロガーは増えている一方で趣味でブログを書く人は減っており、ブログの約95%は、開設されてすぐに更新されなくなっているようです。また、ツイッターも、書き込むのは10人に1人、ほとんどの人は読むだけの人とのことです。ソーシャルメディアを活用するツールはどんどん増えてきていますが、熱狂的な状態が未来永劫に続くことはなく、つながりが一段落し、「○○疲れ」や退屈を感じるようになれば、今後も右肩上がりの成長が続くことは期待できないのかもしれません。
そこで、鍵を握るのは、十分に報われているというフィードバック、つまり「ご褒美」です。
ソーシャルメディアの世界で勝者になる条件は、「十分に報われているとユーザーに感じさせる方程式を確立する」
と、いうように何らかのフィードバックが全体に広がり、モチベーションが維持し続けるモデルとしてビジネスを確立していかなければ、利用者が継続的にソーシャルメディアを活用し、安定的に伸び続けることは難しいのかもしれません。
私の場合、ブログを3年以上毎日投稿を続けています。オルタナブログでは報酬をもらっていませんが、講演依頼をはじめとして、投稿し続けることによって、様々なフィードバックを得ることができました。これは、普通にサラリーマン生活を送っていればできなかったことが、実現できており、モチベーションの維持につながっています。
一方、毎日投稿し続けるためには、書籍を読んだり、人と会うなど、様々な努力と投資が必要となります。おおげさかもしれませんが、毎日投稿することは、自分に課せられた修行のようなとこもあるという認識で取り組んでいます。それなりの「ご褒美」を得るためには、それなりの取り組みが必要であり、「ウッフィー」という定義ではちょっと表現しにくいところもあるような気がしています。ツイッターの場合は、気軽がゆえに、様々な人とつながりますが、気軽が故に、安易な方向に流れてしまうところもあり、多くの「ご褒美」を期待しすぎるのは少々酷なところもあるかもしれません。
ソーシャルメディアの世界は、ブログやSNSやWiki、そしてミニブログなど、様々なツールが登場するたびに、人々は熱狂し、無報酬で奉仕をしてきました。しかし、そろそろ、景気も悪いし、「ご褒美」をもっともらいたい、ソーシャルメディアで一儲けしたい、収益化したいなど、ソーシャルメディアで一花咲かせたいという思いが強くなっていくのは当然の流れといえるでしょう。もちろん、何も「ご褒美」がないので、意味がないのでやめてしまおうという人もいるでしょう。「無報酬の奉仕」と「ご褒美への期待」、この二つのジレンマの中で、ソーシャルメディアはこれからも成長し続けていくのか、モデル事態を変えていかなければならないのか、それとも淘汰されていくのか、この1年間は、大きな踊り場にきているといえるのかもしれません。