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開発ツールビジネスの再生に格闘。マーケティングの視点で解説

エンバカデロの今に至る開発ツール部門分離の真実 その9

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2006年も6月に入り、アジア全体の組織化も一段落したところで、キックオフをやろうという話になった。シンガポールからAPAC DevCoを統括するニック・ジャクソン。そのほかにもインド、台湾、オーストラリア、ニュージーランドなど各国のスタッフが集まった。

Nick_photo

以前にも紹介したことのある写真 - 八重樫さん(左)とニック(右)

キックオフの目的は2つ。今後のDevCoの方向性を理解し、ビジネスを継続、発展させていこうということ。そして、これからの移行に備えて、組織やシステム上の課題を理解しておこうということだ。まだすべてが決まっていない状況で、決まってからのことを議論してもしょうがないが、長い間ローカルビジネスを展開してきた我々にとって、どのような既存資産があり、また、どのようなローカルプロセスが存在しているかを共有することは重要だ。

これは、ボーランドの設立の経緯にも関わることかもしれないが、そもそも80年代は、外資系とはいえ、ビジネスがグローバルスタンダードに則っていたわけではなかった。しかも、ボーランドは、日本の会社が前身となって日本法人を設立しており、「日本は別」というのがことさら強かった。

実際、このキックオフをきっかけとして、長い年月をかけてグローバルスタンダードに合わせていくことを、水面下で行っていた。ローカルの需要は常にあり、標準に合わせてしまうことによる問題も生じる。しかし、合わせることによる恩恵をまず享受し、その中で、どのようにローカルの需要に適合させることができるかを考えるように、数年かけて変えていったのである。

さて、キックオフの内容を今振り返ってみると、当時はまだJavaへのフォーカスが強かったように思う。現在では、確固たる「マルチデバイス戦略」によって、Delphi/C++といったネイティブ開発ツールのありようを俯瞰しているが、これらの製品については、「.NETとは別にネイティブサポートを行っていく」という以上の長期戦略は見えていなかった。

もっとも、この時点では、Windowsの次期バージョン(Vistaのこと)がどうなるか、という話題が先行しており、これに対してどのようなサポートをしていくか、という短期的な戦略がすべてであったと記憶する。

キックオフでは、チームビルディングという名の懇親会的イベントもあり、インドチームとボーリングをするという経験もした。次の一投に集中していると、となりのレーンのインド人が、レーンを超えてボールを投げてくるというハチャメチャぶりだったが、日頃顔を合わせての交流がないため、とても新鮮だった。

当時のオフィスは新宿だったのだが、夕方から笹塚に移動し、笹塚ボウルで楽しんだあと、当時マイクロソフトのオフィスがあった近くのイタリアンレストランに行くという予定を組んだ。ディナーを笹塚でアレンジしたのには、ひとつ理由があった。ボーランド日本法人設立当初から在籍し、現在でもDelphiのコンパイラの開発で中核的な役割を担っている田川さんがいたからだ。

Delphiのコンパイラが日本で作られているというのは、知る人ぞ知る話だが、日本の中でもさらにローカルにいえば笹塚なのだ。

あんまり社交的ではない田川さんを呼び出し、アジア各国のエンジニアに会わせるという目論見は見事成功し、うわさには聞いていた田川さんに会えたと、各国のエンジニアは、目がハートになりながら彼との会話に興じ、記念写真を撮った。

彼をユーザーイベントに出演させるには、さらに数年を要することになったのだが、顔の見えないベンダーから、脱皮していくための一歩になったことは間違いない。

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