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開発ツールビジネスの再生に格闘。マーケティングの視点で解説

C++Builderが15周年だというので、C++自分史を振り返ってみる

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Cb_tech_report ひとつのツールを10年以上継続的にリリースするというのは、本当に難しい。IT業界で10年以上継続的にビジネスを展開している企業というのはほんのわずかであるし、何より、テクノロジーの変遷に対して、ひとつのツールが持続的に自分らしさを発揮するというは、もっと難しいと思う。実際、DNAだけ残ってます、とか、逆に、名前だけ維持しています、というものも多く見かける。

そんな中、C++Builderは15周年だそうだ。Delphiの弟分として、1997年にリリースされ、C++でありながら、Visual BasicやDelphiのようにコンポーネントを用いたビジュアル開発ができるというユニークなポジションを守り続けているのだ。

もっとも、C++Builderも、決して紆余曲折がなかったわけではなく、従来のビジュアル開発のメリットを捨ててでもクロス開発にフォーカスしようとした時期もあった。いわば、名前だけ残して、というやつだ。だが、従来のC++でビジュアル開発を支持する熱いユーザーの要望によって、復活を果たし、現在に至っている。

個人的には、プログラマ現役時代、こんなツールがあったら便利だったのに、と思いながら、これらの製品をベンダー側で担当していた記憶がある。C言語との出会いは学生時代で、そのときは、せいぜい入門書レベルのコードしか書いていなかった。その後、社会人になってから、メインフレームで動いていたFortranのライブラリをUNIXに移植するという作業を通じて、初めてC言語でまともなプログラムを作成した。

当時のウィンドウライブラリは、まだオブジェクト指向していなかったので、C言語でポインタ使って、オブジェクト指向っぽいコードを書いていた。その後、Windowsが普及してきて、C++で結構な行数を書いてGUIを作成していた記憶がある。もっとも、それ以前にCUIベースのウィンドウライブラリTurbo Visionを使っていたので、Windowsライブラリ(OWLだっけ)への移行は、それほど大変ではなかった。

RADとの出会いはDelphiが最初。実際ボーランドに入社してから「あなたはDelphi担当」といわれてあわてて勉強した。翌年、C++Builderが発売されると聞いて、なれないDelphiの構文よりも、自由にコードが書けると思ったものだ(上の画像は、当時のサポートプログラム「Borland Connections」で配布していたTechnical ReportのC++Builder版創刊予告号の表紙。よくこんなもの取ってあったなぁ)。

当時は、サポートからマーケティングに異動する前後のときで、自分自身は、次のJBuilder担当になったわけだけれども、その合間を利用して、自分でも最初となる書籍を執筆した(「Borland C++Builder入門」 - アスキー出版局)。

C/C++の人口はまだまだ多いとのこと。実際、春先ともなると、エンバカデロのサイトで配布しているフリーのC++コンパイラの需要が伸びる。アンケートを見ると、学習目的以外では、製造業や組み込み向けでC/C++を使用している人が多い。

C++Builderは、現在のバージョンで、WindowsとMac OS Xとのクロス開発をサポートした。CPU/GPUネイティブのグラフィック機能を、コンポーネントベースでサポートしたのも大きい。今後は、やはりモバイル向けの拡張が期待されるであろう。

そんな中でも、C++Builderたる所以であるDNAを維持しながら、新しい分野にも広がっていってもらいたいと思う。

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