ポリリズムで躍動するチャイコフスキー
お盆休みに入り、サマーコンサートの練習が追い込み段階になっている。今回のメイン、チャイコフスキーの交響曲第4番の最大の難所は、なんといっても第1楽章だ。直線的で2拍子好きの日本人にとって、円運動の3拍子は捉えにくいが、この曲は、さらに3拍子×3の8分の9拍子である。しかも、随所で、3拍子は崩れ、現代風に書くと、8分の2+8分の3+8分の3+8分の1みたいな動きをする。
チャイコフスキーが難しいところは、こうしたリズム上の変化球が、ショスタコービッチやストラヴィンスキーのように鋭角の旋律ではなく、流れるような「これぞチャイコ」という旋律の中に表れることだ。4番では、さらに、冒頭のファンファーレ主題(これは4分の3拍子)が随所で重なり、複雑さを増している。
これ、合うはずないようなものが念力で一体化しているような音楽だ。数学的に考えると、ファンファーレの16分音符の3連符の音価は、8分の9拍子の16分音符と同じはずだ。すなわち、論理上は、この3連符の「パパパ」は、「んパパパ」で、下の弦楽器の8分音符とぴったり合致する。
だが、現実的には、そのようには演奏しないし、そうしてしまうと、ファンファーレの前打音の感じもでない。というより、そんな数学的な演奏はナマの楽器ではできないだろう。おそらくこの箇所を譜面どおりにMIDI入力して演奏すると、まったくメリハリのない、ただ騒がしいだけの演奏になってしまうはずだ。
このような阿吽の呼吸の混沌を、Tuttiでがっつり弾き込みながらもしっかり合わせるには、攻めの姿勢が必要になる。合わせようと受身になると遅れる、いい表現もできない。
極限のところで、力いっぱい攻めるには、個人で冷静にさらっておいて、音楽も体のうごきも、全部染み込ませておく必要がある。そうすると、ボールは止まって見えるものだ。
おまけ:
第1楽章の第1主題が、どうも拍が不安定でつかみどころがないんだけど、という疑問に、先の現代風拍分割の方法で解析してみよう。
この主題は以下のような出だしだ。
リズムの軸足が定まらない非常に不安定な印象を受ける。これを、現代風の記法で分解してみると、次のようになる。
大きい3拍子と半分の長さの3拍子、それを包み込むより大きな3拍子。常に3で構成されてるところに、ゆれが生じるのだ。実際には、このように拍を感じて角々と演奏するのではなく、8分の9拍子の中に入れ込んで歌う。これがさらに不安感を増幅するのだろう。