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選曲で敬遠されがちなブルックナーの誤解

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久しぶりに音楽ネタを書いてみる。このところ多忙を極めていたが、音楽をやっていなかったかというとそういうこともなく、イベント直前などは、むしろ毎日楽器を弾いていた。

さて、そんな中、次の夏の演奏会のさらに次の演奏会の選曲作業は始まっている。基本的に団員からの意見を吸い上げてプログラムを作るため、一定の傾向があるのは仕方がない。しかし、全体の構成や管・打楽器の失業対策のために、とんだ伏兵が最終候補に残ることがある。候補を出した本人以外、ほとんど知らないというような曲だ。長い演奏生活では、何もやりたい曲ばかりやるべきものでもないので、個人的にはそういう選曲は歓迎している。演奏会を通じて、知らなかった作品に正面から向き合える機会を得られるというものだ。

さて、結構知られているが、残念ながら偏見により、あまり候補に残らない楽曲のひとつがブルックナーだ。一般的にブルックナーは、オルガンのよう、弦楽器は刻みばっかり、といったイメージがつきまとい、熱狂的なブルックナーファンを除き、オケでは敬遠されがちである。

しかし、ずいぶん前にこのブログでも取り上げたように、ブルックナーには、絶妙なアンサンブルの楽しみがある。刻みで二の腕のたるみを解消するだけがブルックナー演奏のメリットだと信じて疑わない弦楽器奏者は、こうした箇所をチェックしてほしい。

ブルックナーについてもうひとつ注意すべきなのは、ビートだ。オルガン的なイメージが先行すると、ブルックナーのビート感を見失いがちになるのだが、実際、しっかりビートを刻んだほうがいい箇所も多数ある。こういうところで、変に間延びさせたり、テンポをゆらしたりすると、軽快さが失われる。

これの典型的な例が、以下の交響曲5番の終楽章である。

B5

 

この軽快なテンポで、やがて全曲冒頭の祈りのような低弦の音形が再現される。これ、しゃれてると思うんだけれども。

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