ご真言とストラヴィンスキー的リズム
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宗教と音楽は密接な関係にあることが多く、祭礼やさまざまな祈りの場面で音楽を用いたり、音楽そのものが宗教的意義を持っていることなどがある。特に西洋のクラシック音楽は、キリスト教との関係を無視できない。ひるがえって、日本の宗教的儀式の中に音楽を見ることができるかと思い返してみても、葬儀で念仏は唱えても歌は歌わんなぁ、と考えてしまう。しかし、西洋音楽的な枠を取り払えば、いろいろな音楽的要素がころがっていると気づく。
木魚などを打楽器だと認識するのはもちろんのこと、お経のリズムやふしに音楽を感じる。南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経は単調なリズムであるけれども、真言宗のご真言は面白い。「おん まか きゃろにきゃ そわか」とか、「おん あびらうんけん ばさら だどばん」といった呪文のようなあれだ。例えば、薬師如来のご真言は、「おん ころころ せんだり まとぅぎ そわか」。
これをリズム表記するとこうなる。
譜例1:
拍子記号を入れるとこんな感じか。
譜例2:
指揮法の練習に出てきそうな変拍子である。このリズムを強烈な打楽器を入れたフルオーケストラで繰り返すと、ストラヴィンスキーばりの原始的な音楽になって盛り上がるだろうなと想像する。南無阿弥陀仏が、庶民の平易なリズムを繰り返すのに対し、密教的な真言は、おどろおどろしいリズムを形成しているのか。
念仏や真言は、実際、意味ではなく音として念を込めるものとなり、まさしく音楽的な要素として機能しているように見える。
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