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音楽と温度

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かの日本IBM管弦楽団が、週末の定期演奏会で、チャイコフスキーの交響曲第5番を演奏するらしい。このオーケストラ、5年ぐらい前に、IBMに勤める知人が、会社のオケができると申し訳なさそうに報告してくれたが、今度で10回目の定期演奏会だそうだ。正直に告白すると、まだ1回しか聴きにいったことがないのだが、なかなかよい。折り目正しい社会人オーケストラといった感じか。

これからじめじめ蒸し暑い季節に突入するが、そんなとき涼しげな音楽は心地よい。チャイコフスキーは、フォルテ(f)がいくつも書いてあって、トリビアのごとく、フォルティッシシシモ状態で、極めて熱いのだが、熱さと暑さは違うもので、どこか乾いてキーンとした涼しさをたたえている。

もっとも、「チャイコフスキー=ロシア」という先入観も大きく、アイスを見ただけで涼しくなったり、梅干を見ただけで唾液が出るのと似た症状かもしれない。とはいえ、じめじめした季節にチャイコフスキーを聴けば、熱い演奏ながらも、パブロフの犬のごとく、クールな気分を味わえるのだから、申し分ないのだ。

さて、つい最近、先入観がどれほど音楽の理解を狂わせるのか、ということを経験した。時は、高校時代にまでさかのぼるのだが、複数の学校で混成の合唱団を結成し、都の音楽祭に出演したことがあった。自分の通っていた学校には、合唱部がなかったので、音楽好きの連中が急遽呼び出され、自分は陸上部だったのだけれど、走ったあとにジャージで練習に参加、みたいなことをして出演した。

このときの演目が團伊玖磨作曲の「大阿蘇」。「筑後川」をはじめとする、九州三部作のひとつだ。阿蘇は、火口の写真ぐらいしか見たことがなくて、「荒々しい火口」みたいな、乏しいイメージで歌いきった。当時、とにかく熱さをイメージしていた記憶があるし、今、当時の楽譜を読み返してみても、そんな書き込みがある。

これは熱さの阿蘇。本当の大阿蘇は、これはもちろんだが、広さ、空間を表現しているように思える。

しかし、先日、ついに阿蘇山に登ることができた。といっても、レンタカーでお手軽に行ったのだが、印象的だったのは火口よりも、その周辺の広い草原。うん十年ぶりに、「ゆうだーいなーあそー」という歌詞の意味と、それがイメージするところ、熱さではなく、広さを実感できたわけだ。「大阿蘇」は、空間を感じる音楽だったのですね。

ちなみに日本IBM管弦楽団の他の演目は、シベリウス。ますます涼しい。

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