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短距離走的音楽瞬発力と長距離走的自己演出力

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いっしょにオーケストラをやっている友人がブログで、合奏で楽器を弾くときの行為を、「楽譜から音をイメージする作業を瞬間的に行っている」と分析していたが、なるほど、われわれは楽譜を音にするのではなく、音のイメージを作っているのだと合点がいった。

演奏会に向けての練習も、序盤戦から中盤までは、仕事に忙殺されて、あまり頻繁に個人練習をすることもなく、ほぼ2週間に1回の全体練習の間、一度も楽器にさわらないこともある。とはいえ、Tutti(トゥッティ:全体合奏のこと)で、指揮者が棒を振り下ろすと、とたんに音楽脳になっているから不思議なものだ。

友人のブログにパート譜の写真もある練習中の曲は、マーラーの「葬礼」。交響曲第2番の1楽章の初稿にあたるものだ。この曲は、譜例1にあるように、ヴァイオリンとヴィオラの激しい刻みで始まる。実質的リズムを厳密に感じるのは、2小節目のチェロとコントラバスなのだが、楽譜への注意書き「Schnell」というのは、楽譜上に表されたテンポ/リズムよりも速く弾くこと。つまり、「はっけよーい」と1小節見合って、いきなりすばやく「のこった」とやるわけだ。

譜例1:

感嘆するのは、社会人としての日常のある人たちが集まって、いきなり、「のこった」とやると、ちゃんと合うことだ。しっかりそのモードに入れるのは、われわれ社会人オーケストラの特技かもしれない。

さて、この箇所は、短距離走的なバトルなのだが、同じように音楽を作るノリが要求される箇所で、もっと中長距離的なスキルが要求される箇所もある。譜例2は、厳かに始まった葬礼の曲に、ヴァイオリンがそーっと乗っかるように加わり、そしてわずか数小節で、マーラー的なこぶしを要求される箇所だ。一見なんてことない箇所のようだが、冒頭からここまで、あまり音楽を積極的に作ることに参加していなかったヴァイオリンにとっては、突然表舞台に立たされたようなもので、不用意に突入すると、中途半端な表現に終わってしまうことになる。するとそのあとの金管楽器が、やけに大げさで(実際大げさなのだが)、とってつけたようになってしまう。

譜例2:

ということで、中長距離的なスキルだ。瞬間的な呼吸ではなく、有酸素の長い呼吸運動によって音楽を作っていく。チェロとコントラバスがややこしいリズムを弾いているときに、こっちはらくちんとぼーっと刻んでいるのではなく、やがて表舞台に登場する自分を20小節以上かけて演出していくのだ。

こうしたイメージを作る努力は、瞬間的に日常世界から音楽脳に移行できる瞬発力とともに、音楽にどっぷりつかっていく陶酔脳に導く、重要なテクニックなのである。

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