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エイプリルフールと音楽

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3月はあっという間に過ぎてしまい、金曜日に投稿していた音楽ネタも在庫切れで、更新なしが続いてしまった。明日はもう4月だが、平穏な日々は戻るだろうか。

4月といえば、エイプリルフール。まあ、このネタで盛り上がるのが定番だろう。人をハッピーにさせるウソ、そんな4月1日にふさわしい音楽は? と考えて、音楽はある意味365日エイプリルフールなのでは? と思い至った。

人がだまされるのは、ウソに期待があるからでもある。うまいウソは、期待を裏切らない、つまり、人々が予想することを、ちょっと大きく膨らまして、ウソの世界に引き込むのだ。「え、ほんと?」と思いながらも、つい引き込まれてしまう。

音楽の世界では、例えば、転調がこの効果を引き出す。明るい曲がさらに明るくなったり、急に陰が差したりする効果はこれだ。卓越した作曲家は、半音の使い方がうまいという。モーツァルトの音楽も、思わぬところで半音を使って聴き手を引き込む。

半音によって、エッシャーの絵画のような世界に引き込むのはプロコフィエフ。全音で移動するはずのところを半音しか移動せず、おかしな転調をする。伴奏も含め、音楽全体が半音ずれるので、一瞬違和感を感じるけど、すぐに平常に戻る。でも、知らないうちにコインが裏返っている。この技法は、彼の多くの作品に仕込まれているけれど、典型的なのは、「ピアノ協奏曲 第2番」の第1楽章冒頭。ソフトバンクケータイの現在のCM、「ピーターと狼」の主題でも同じトリックが使われているのだけれど、CMではそこまで流れていない(しかし、なぜ、ソフトバンクはずっとプロコフィエフなんだろう)。

ここまでくるとマジックのようだが、マジックでは、大げさな動きで人々の視線を一点に注がせて、そのすきに... というトリックがよくある。音楽でも、大げさな演出で、音以上の効果を出そうという試みがある。

マーラーは、舞台に通常の管弦楽楽器以外のものを持ち込んで、風刺漫画に描かれたぐらいだが、例えば彼の交響曲第6番に登場するハンマーは、正直、音響効果ではないと考えられるだろう。

この曲は、過去2回やったことがあるのだが、現実ハンマーという楽器は存在せず、楽器屋に行っても売っていない。「マーラーのハンマーください」なんていうと、怪訝な目で見られてしまう。ホームセンターなんかにいくと、測量杭を打ち込むような木槌があり、たいていこれで代用する(代用といっても、オリジナルがなんなのか定かではないが)。ちなみに、演奏会用に各種特殊楽器をレンタルしている業者は、楽器として売られていなくても、作曲家が楽器としてスコアに記している主要な小道具は、あらかじめ用意している。

ハンマー(一番下)にフォルティッシモではなく、フォルティッシシモを記述したからといって、音量に変化は期待できない。むしろ、アクションが大事だ。
注釈を見る限り、非金属のでかいアタックの強い音響を短く出すことを期待しているようだが、それなら、硬いプラスチックハンマーで机でも叩き壊したほうがいいような気がする。

演奏会場でハンマーを床に叩きおろすと、当然床を破壊することになるから、厚手のゴムのクッションなどを敷いて、その上に板など置き、これを叩く。だが、楽器というのは、本来共鳴して音が響くもの。硬い板を叩こうが岩を砕こうが、たいした音は出ない。ハンマーによって、大音響を出したいなら、ホールの床を直接叩いて、ホールを共振させなければだめなのだ。おそらく、ほぼすべての演奏会では、床の弁償費用とこれに伴うトラブルを考慮していないはずなので、これはありえない選択だ。

さて、このようにさほど音響効果のないハンマーには、いったいどんな意味があるのか。実は、演奏会では、打楽器奏者が、大げさなアクションでハンマーを振り下ろす。それに呼応して、金管楽器群がフォルティッシモでがなり、弦楽器群が駆け巡る。「ハンマーの音聴こえた?」「響いてたよね」なんて感想がもれ聞こえる理由は、この演出にある。実際には、ハンマーの音かどうかはともかく、鉄槌が下され、その大音響がこだましたのだ。これはCDを聴いていたのでは分からない。

楽器を破壊するというような、本当に聴衆をだまくらかした奇をてらった現代音楽は別格として、音楽には、ちょっとした過剰演出や、ウソ、トリックなどがちりばめられているもの。聴衆の予想を一切拒絶する音楽は、理解されず受け入れられないが、聴衆の予想をうまく利用して、そこから新しい世界に引き込むのは、傑作と呼ばれる音楽の常套手段だ。

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