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必修漏れ問題 - 歴史を駆け足で2度勉強するのはなぜ?

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高校の必修漏れ問題。文科省が補修の指針まで出すなど、落としどころをつくった「政治決着」となりましたが、マスコミ的には、「調査があまい」とか「中学にまで波及か」と、まだしばらく騒ぎが続きそうです。

この問題。受験校での教育の歪みだとか、ちゃんと履修した人が不利になって不公平だとか、いろいろな観点から意見が出ていますが、特に問題となった、「歴史」という教科。「はて、歴史ってどう教わったけなぁ」と考えると、どうも根本的な教育の問題のような気がしてなりません。

遠い過去を思い出してみると、なんか歴史は何度も学んだ記憶があります。大化の改新は、なんども教わったのです。中学でも高校でも、日本史なら縄文時代から始めて、江戸時代に入るぐらいまでちゃんとやって、そのあと駆け足になって、結局昭和あたりにたどり着く前に終業式。現実世界からは大きく乖離した「大化の改新」だけは、なじみの言葉になるわけです。

歴史とは、現在を知るために学ぶもの、というとかっこつけてるようですが、現在の問題の興味から、過去を知ることが、結局「時間切れ」理由によりできない、しかも、それを2度も繰り返すってなんだろう、と思ってしまいます。実は、いとこが通っている私立のある学校では、6年間で歴史は一回しか勉強しません。なんと、中学のときから高校の教科書を使ってみっちり時間をかけて歴史を勉強するそうです。

現代から過去にさかのぼって教えたほうがいいなんてアイデアもありますが、時間切れで肝心なところを勉強できないなら、そんな方法も検討する余地がありますね。

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