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開発ツールビジネスの再生に格闘。マーケティングの視点で解説

「内輪目線」に気をつけつつ、プラスに転換する

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イベントの講演や取材をアレンジしたときに、仲間うちでは受けがいいと確信していたのに、どうもそうでもない、いや待てよ、ひょっとして空振りかも、ということがあります。本番で緊張してしどろもどろ、というのなら分かりますが、シナリオどおりに進んでいるはずが、どうもかみ合わない。これはいったいどうしたことでしょうか?

こうした事態に陥ってしまったとき、あるいは、陥らないようにするには、「内輪目線」というものを反省してみる必要があります。

まず気をつけなければならないのが、テーマの前提。その話題は、確かに内輪では四六時中話されていたものかもしれませんが、世間ではどうでしたでしょうか?何か欠けている前提は?場合によっては、世の中の認識と社内の常識を埋めるための努力が必要かもしれません。

もうひとつは、スピーカーのキャラクターです。内輪では、そのスピーカーのバックグラウンドをよく理解しています。これまでに話してきたテーマ、考え方、あるいは人となりなど。しかし、それが今回のオーディエンスには通じるでしょうか?

日々自分たちが感じてきたことを、自分たちの文脈の延長で語ることは、前後の文脈を切り取ったある瞬間だけに映ってしまうことがあります。こうした事態に陥らないように、常に「初めての人に語る」気持ちを忘れないようにしなければなりません。

ところで、このことは一方で、伝統的な方法に対する改良のヒントを与えてくれます。PRの教科書どおりなら、会社のメッセージは、企業としてぶれのないように統一して常に繰り返されるべきものです。しかし、これも度が過ぎれば、金太郎飴のような画一的なメッセージになってしまいます。だれに取材しても、同じ言葉しか返ってこないようでは、取材する側もつまらないですよね。

そこで、スピーカーの個性やバックグラウンドを有効活用するのです。これまでPR的に成功してきた先人を見ても、決して紋切り型ではなく、個性を前面に押し出してメッセージを打ち出してきたのであって、教科書どおりは決してよいお手本ではないと言い切れます。そして何より、「内輪目線」では抜群だったわけですから、目線を近づける努力を、周辺からも仕掛けていくというのは理にかなっています。

とはいえ、個人のメッセージと企業のメッセージという境界線は難しいところです。プラスに働く個人メッセージは企業にとっても有効でしょうが、ときには企業のメッセージと相反することも考えることが個性であり、人格としての信頼性や面白さにつながるのだと思います。社長ブログなどはかなり自らコントロールしやすい範囲ですが、自分を含めた従業員の実名ブログ、さらには、アルバイトなどが匿名で書くものの企業や相手を特定できる個人ブログや掲示板を含む、幅広い情報伝達の方法が氾濫している中で、これらを企業としてもプラス方法に活用していくのはなかなか大変なことです。

企業としては、個人の情報発信にまで責任は持てないというのは厳然たる事実です。しかし、人が集まって存在しているのが企業である以上、まったく知りませんでは済まされませんし、例えマイナス方向の発信に対しても、それにどう向き合うかを見せることが、顔の見える企業という印象を押し出すことにもなります。そういう意味でも、個人ブログで「悪口」 それはもう危険なのだ という記事、企業の対応は、「当社は一切無関係でございます」という言葉で終わらせていいものかどうか、考えさせられてしまいます。

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