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本日はショスタコーヴィチ生誕100年記念日でした

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金曜ではありませんが音楽ネタを。本日は、20世紀ソ連の偉大な作曲家ショスタコーヴィチの生誕100年記念日(つまりは1906年9月25日生まれ)です。うちの母親と誕生日が一緒だな、なんて今さらながら気がついたりして、まあ、それはおいといて。。

ショスタコーヴィチは、ソ連の、それもスターリン時代に前半生を生きており、その作品が共産党に批判されるなど、粛清の対象にならんかの、スレスレの線で作品を書いていました。実際、一見、迎合的と思われる作品にも、暗にスターリン批判が込められているのでは(?)といった深読みがいくらでもできてしまう、陰影をたたえています。

日本でショスタコーヴィチが注目されるようになったのは、80年代だと記憶しています。ヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』の翻訳版が出版され、「ショスタコーヴィチが実は、反体制的だった」ということが、広く知れ渡るようになり、がぜん注目が集まりました。その後、この本自身の信憑性が大きく疑われていったというのも、さらに拍車をかけたのですが。

自分がショスタコーヴィチを聞くようになったのも、たしかこの頃。高校のとき、ソ連ものが好きな友達がいて、テープとかスコアを貸してもらってよく聞いていたのでした。その頃は、スコアも国産モノが5番と10番しかなくて、ソ連製や東ドイツ製のスコアをお金をためて入手していました。

まあ、そのときはショスタコーヴィチを演奏する側にまわるとは思っても見ませんでしたが、彼の交響曲をいくつも(記憶する限り、4、5、7、9、10。次は11か、15をやりたい...)演奏する機会に恵まれました。今のオーケストラに入るきっかけも、ショスタコーヴィチでした。団長に、「おい藤井、こんどショスタコの7番やるから入れよ」と声をかけられて、直前に、「しばらくはオーケストラやめようかな」なんていっていたのに、舌の根も乾かぬうちに「やるやる」。それ以来、続けているわけです。

このときの演奏会、もう10年以上前のことですが、当時ショスタコーヴィチの7番の替え歌で、シュワちゃんがアリナミンVのCMをやっていました。「チーチーン、プイプイ」ってやつです。演奏会としてはドンピシャのタイミングだったのですが、なんと、当日配布のプログラムで、武田薬品からアリナミンVの広告をゲットしてきたのです。当時は、またプログラム作成を担当していませんでしたが、「武田薬品やるな~」と感心したものです。

それから時が流れ、生誕100年。クラシック音楽の作曲家の場合、生誕100年よりも、没後50年の方が、爆発的に演奏される契機になります。理由は単純明快で、著作権が切れるからですが、ショスタコーヴィチ先生は寒いロシアにあっても長生きされましたので、まだまだ著作権は生きております。それにもかかわらず、多くの演奏会で取り上げられるようになったこと、さらにはショスタコ専門アマチュアオケまである今日。時代は大きく変わっておりますな。

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