音楽と空気
金曜日はいつものようにブレーク。先日は、音楽と呼吸の関係について書きましたが、今回はもうちょっと漠然とした「空気」について。
オーケストラで取り上げる曲目は、古典から近現代に至るまで幅広く、ジャンルや背景の文化も大きく異なります。「ロシア人作曲家特集」とか「北欧特集」なんてプログラムを組むと統一感が出ますが、それぞれ面白そうな曲をピックアップしてきてつなげると、なんかまとまりのないプログラムになってしまうことがあります。
しかしながら、そのようなまとまりのないプログラムは、逆に音楽が作る空気を認識させるいい機会になります。チャイコフスキーをやるとキンキンの寒さを感じるとか、ラテン系の音楽で熱くなったりというよう空気は認知されやすいので、「今年の夏は暑そうだから、チャイコフスキーでもやって冷やすか」とか「いや、熱い夏こそラテンのリズムだ」とか、暑い日のランチに、冷し中華にするかカレーにするかという議論と同じレベルでの論戦があります。
こういった分かりやすい空気だけでなく、言葉で形容できないような、それぞれの音楽が作る空気の違いもあります。自分の場合、この空気の感じが、特定の作曲家を好きになったりする動機だったりするようです。
オーケストラは、単独の楽器での演奏よりも色彩を強調できますから、こうした空気の違いをよりよく感じることができる装置です。奏者の鼓動をそのまま伝えるソロ楽器の演奏も魅力的なのですが、変幻自在に色彩を変えるオーケストラは、また違った魅力です。
今回、サマーコンサートで、シューマンの交響曲第2番を取り上げることは、以前書きましたが、その他の曲目は、ラヴェルのスペイン狂詩曲にプロコフィエフのシンデレラと、統一感はまるでないプログラムです。でも、空気の違いは鮮明です。色彩という点でいえば、シューマンに対し、後者は、いずれも色彩豊かに感じられるでしょうし、スペインとソ連の空気も間逆ですね。
演奏する立場からすれば、作曲家が作ったそれらしい空気が出るしかけにあぐらをかいているようではだめで、そのしかけの上でその空気を吸って、自分も同じ空気を発散するようにしなければなりません。「この空気、この空気」と感じながら演奏できれば、よい演奏になると思います。
ところで、学生のころは、教授にもらった招待券で毎週のように演奏会に行っていた時期がありましたが、現代ものを好んでもらい、特に日常と違う空気の発散を満喫していました。「天井が抜けるような空気」を作る曲が、たいていお気に入りになります。