シューマンと呼吸法
今、シューマンの交響曲第2番を練習しています。8月にあるサマーコンサートに向けて、そろそろ本格的に仕上げていかなければならないところです。 私が参加しているのは、大学からの縁の千葉の市民オーケストラです。既に10年以上やってますが、万年セカンドバイオリンで内声を支えています。
シューマンというのはめったにやらない作曲家です。とくにこのオーケストラは、大曲主義的なところがあるので、最近でもマーラーの10番全曲をやったり、ストラヴィンスキーをやったりと、限りなく20世紀の音のでかい長い曲を、好んで選んでいます。でもたまに反動で、しっかり弦楽器をならして、効果音の助けなく、表情をつけるような難しい作品を選びます。今回はまさにそれです。
たしかに、最近は「くちゃくちゃくちゃっ、じゃん、ぐちゃっ、ぐちゃっ」なんていう感じの、弾いたか弾いてないんだか分からないようなアクロバティックな曲 が多かったので、ほとんど休みなくちゃんと音を出す曲は弾き応えががあります。しかし、練習当初は、とにかくつらい。なにがつらいかというと呼吸が分からないのです。
図化するとこんな感じ?
これはストラヴィンスキー | |
これがシューマン |
管楽器や声楽だけでなく、弓を使う弦楽器も打楽器も、呼吸は重要です。呼吸法を間違えればアンサンブルは乱れるし、うまく表現できない。「じゃん」と合わせる前には、同じタイミングで息を吸わないと腰砕けになっちゃうのです。旋律にはピークがあります。ピークに向かって息を吸い、ピーク後の減衰でゆっくりはくとか、そういった全身運動が、音楽を生きたものにするのを助けてくれます。
自分自身はシューマンにあんまりなじみがないので、当初彼の息遣いがピンときませんでした。しかし、このことはシューマンをやるときには致命傷になりです。シューマンのオーケストレーションは、ひとことでいえば「均質なベタ塗り」。演奏する側が相当メリハリをつけて表現してやらないと、のっぺりとした音楽になってしまいます。ここで、呼吸があわないということは、メリハリのベクトルがあわないということで、当然お互い打ち消しあうような、漫然とした、ノリの悪い演奏になってしまう日々が続いていました。
市民オーケストラに参加する人たちは、仕事を抱えている人がほとんどなので、毎回練習に参加できなかったり、十分個人練習ができてなかったりすることは仕方がありません。しかし、みんなそれなりにベテランなので、本番に向けてピークを持っていき、それなりに仕上がるものです。このピークに向けての急激な仕上がり曲線は見事なものなのですが、一般的に管楽器の仕上がり曲線はゆるやか(最初からそこそこ仕上がっている)なのに対し、弦楽器は急激(要は最初のころは全然弾けない)です。これは、管楽器がソロ楽器なのに対して、弦楽器は大勢で弾いて自主性がないからということにも起因していいるのでしょう。 でも、最後までひとのかげにかくれてそれなりに弾いていたのでは面白くもありませんから、みんなそれなりのペースで仕上げてきます。
私は全体練習にはまめに出ますが、個人練習はあんまりしないタチです。こんなことを書いてコンサートマスターに見られるとまずいのですが、次の全体練習まで楽器を一度もさわらなかったなんてこともよくあります。しかし、そろそろエンジンを始動させなければならないようです。そして、ここ数回の練習で、シューマンの呼吸法もわかってきました。呼吸法が分かるとノリがよくなるので、面白くなってきます。弾いてて楽しいのです。楽しければうまく弾けないところをもっと練習しようと思うようになります。
今週末も練習です。そこそこ仕上がってくると、あやしいセカンドバイオリンの内声パートを口ずさみながら仕事をするようになります。みんなうるさくてごめんね。