「あなただけがセクハラ被害にあわなければそれでよいのか?」と聞かれて応えられなかった若かりし頃
今でこそセクハラに関する世の中の意識は高く、企業もセクハラ防止のために様々な努力をしているが、私が若かった頃は、セクハラという単語もないし、そういう概念が男女とも比較的薄かった。
もちろん、それで嫌な思いをしていた女性はいたのだが、そういう男性をいなせない女性のほうが足りていないのでは?という風潮すらあった。
ある女性ばかりの会合に出た時、そういう話になり、「『そういうことをすると仕返しが恐いぞ』オーラを出しているので私だけは大丈夫です。」のようなことを応えたのだと思う。(何せとても昔の話ですから正確には覚えていません)
その時に、ある年輩の女性が微笑みながら私の目を見つめて言った。
「そうね、大里さんなら大丈夫だと思うの。あなたは強いから被害にあいにくいし、あいそうになったら潜り抜ける術も持っていると思う。でも、あなただけが被害にあわなければそれでよいの?代わりにあなたより弱い人は被害にあうわね」のようなことを言われた。
私は何も応えられなかった。何も応えられなかった事実だけは強烈に覚えている。(ちなみに当時のわたしは自分自身のことは全く「強い」とは思っていなかった。蛇足)
当時の私の心境を推測すると、「そんなこと言われても・・・・困ったなぁ。個人個人で対応してよ。」という感じじゃないかと思う。
セクハラに限らず、世の中の状況を改善しようと声をあげて下さっている方々はたくさんいる。
しかし、あの頃の私はそういう方々がちょっとだけうっとうしかった。
「世の中」というのが遠かったのだ。そしてその遠いものにむかって、精力的に活動をしている人々の気持ちがあまりわからなかった。
その遠い最たるものが「政治」でもあった。
あれからずっと時がたち、私の関わり合う世界は広がり、自分のこととして前よりほんの少しだけ世の中を広くとらえられるようになった。
そして、大上段に構えるのではなく、自分の近くにいる人とまずはちょっとだけ今より幸せになるために、行動を起こせるようにもなった。
部屋が住みづらかったら、ちょっとした模様替えをするように、自分の周りで生き苦しいことがあれば、ちょっとだけ何かすればよいやという感じ。