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「自分だけの武器」を持たねば、フリーランスとしては生きていけない。「オリジナルの戦略」を描けなければ、コンサルタントは務まらない。私がこれまで蓄積してきた武器や戦略、ビジネスに対する考え方などを、少しずつお話ししていきます。 ・・・などとマジメなことを言いながら、フザけたこともけっこう書きます。

犬にもチャオチュール

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我が家には3匹の犬がいる。パグという犬種で、映画「メン・イン・ブラック」でおなじみの鼻ぺちゃブサカワ犬で、年齢は上から16歳、15歳、14歳になる。

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人間に換算すると95歳、89歳、83歳になるらしい。かなりの長寿というだけでなく彼らは「実際の親子」。左から父15歳、娘14歳、母16歳。家族で暮らしているのも珍しいが、全員揃って長寿というのも珍しいことなのかもしれない。

我が家は夫婦2人+パグ3匹という構成。毎晩1つのベッドに全員が入り乱れて眠り、週末はトレッキングに連れていったりドライブに出かけたり、そして東北から関西まであらゆるところを一緒に旅してきた。結婚生活19年のうちパグが16年いる。

そんな生活を続けているものだから「もはや犬は家族同然ですね」とよく言われる。

が、それにはちょっと違和感を覚える。犬は犬であり、人間は人間である。もちろんパグファミリーを可愛がっているが、首輪をつけて散歩する関係を家族とは言いがたい。そこには家族のような平等性はないからだ。

「子どもみたいな存在ですね」とも言われる。

が、それも違う。もっと複雑で、犬の成長と共にその存在も変わる。子犬の頃は無邪気に遊ぶばかりで人間をよく理解しておらず、確かに子どものような存在だった。事実、犬の精神年齢は人間の3歳児程度とよく言われる。

ところが5歳くらいになるとみなすっかり落ち着き、甘えん坊だったり一人の時間を好んだりと、それぞれの個性が出てくる。同時に人間の言うことを完全に理解するようになり、人間2人とパグ3匹の生活スタイルというか距離感がほぼ固まってくる。

こうなると子どもというよりは弟や妹に近くなり、さらには10歳を過ぎてボクら夫婦と同じ中年の域に差しかかると、今度はどういうわけか同世代の友達のようにも思えてくる。

そして今、彼らはボクらの年齢をすっかり追い越してしまった。娘はオネショをするようになり、足の悪い母はお座りができなくなりオムツを履くようになった。

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さらには家のなかで完璧にトイレシートにオシッコができた父だったが、最近はまったく見当外れのテレビの前で平然とオシッコをし、なぜか自慢げにこちらを見つめる。どうやら自分のなかで〝トイレの位置〟が変わったらしい。

それぞれの「老い」が始まっているのだ。

子どものような存在だった彼らはいつしかお年寄りになっていた。オシッコの始末をしたり立ち上がる介助をしたり、不思議なもので世話を焼きながらいつも感じるのは、目上の者に対する「敬意」の気持ち。それは自分の祖父母に対する感情とよく似ている。そして、世話を焼くそんな日々もそれはそれで楽しい。

しかし、さすがに超高齢ファミリーとあっていろいろある。つい先日、16歳の母パグ「まつり」が突然、ごはんを食べなくなった。足が悪いことを除けば目も耳も問題なく、食欲も旺盛で、16歳にしてはとても健康だった。

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1~2日食べないのは犬にはよくあることだ。体調不良とか気分がすぐれないとか、そこはやはり人間と一緒で食欲にも波があり、ただし、今回はそれとは明らかに違った。

完全に食べる意欲が失せていた。

目がトロンと虚ろになり、ごはんを見せても何の反応も見せず、食欲がないというより気力そのものがない。身体を持ち上げるとフニャンとして全体に力がない。明らかに様子がおかしい。食べなくなって3日目にかかりつけの病院へ連れていったのだが、原因は不明という。

「最悪5日間くらいは何も食べなくても平気です」と医者はいう。

その後さらに症状はひどくなった。もはや水すら飲まず、好物のヨーグルトを小指につけて舐めさそうとしても、舌先をちょっとつけるだけですぐに目を閉じて眠ってしまう。そして、小指を押す舌のあまりに弱々しい力に愕然とした。

とうとう老衰がきてしまったのか――。

死期が迫ると睡眠時間が異様に長くなり、胃などの臓器も徐々に機能を低下させる。つまり、意欲だけでなく身体や細胞が自然と死へ向かう準備を始めるという。考えたくなかったが、16歳という年齢を考えればその線を想像せざるをえない。

そして、ついに期限とされた5日目に突入してしまった。できることといえば、口の隙間から注射器で少しずつ水を飲ませることくらい。高齢で元々やせ細っていた身体はヌイグルミのように軽い。せめて最期は腕のなかでと、時間があればひたすら抱っこしていた。

絶食から6日目の夜。テレビを見ながらふとあるCMが頭のなかをよぎった。

「チュール、チュール、チャオチュール...チュール、チュール、チャオチュール...」

猫のおやつのCMである。猫が無我夢中でむしゃぶりつくペーストのおやつだ。CMで見る猫の喰いつきぶりは尋常でなく、実際、猫と暮らしている友人たちに言わせれば「何か入ってるんじゃない? って思うほどチャオチュールが好きなのよ」という言葉を思い出した。

ボクは慌てて近所のコンビニに走った。猫用だろうがウサギ用だろうがもう構っていられない。食べてくれないことには始まらない。

帰ってきてさっそく小皿に親指ほどのチャオチュールを盛り、まつりの顔の前に持っていった。すると、力なく横たわっていた顔をムクリと起こした。猫のような目つきで小皿をじっと眺め、おもむろにペロペロと舐め始めた。

「食べてくれた!」

奥さんとボクは同時に叫んだ。あれだけ意欲を失っていた瞳も、チャオチュールのCMに出てくる猫のように生き生きと輝いている。結局、スティック一本をその晩に食べた。水を飲ませないといけないのでチャオチュールを水で薄めるとゴクゴクと飲んでくれた。

まだ生きれるのかもしれない――。ようやく光明が見えた気がした。チャオチュール様様だ。

翌朝、チャオチュールを水で溶き、そこへミキサーで粉末にした普段食べているごはんを混ぜ込んだ。チャオチュールはしょせんおやつ。生きるためにはきちんと栄養を採ってもらわないとならない。

チャオチュール入りのペーストごはんを持っていくと、しかし、まつりはすぐには食べない。皿を5秒ほど眺め、神妙な顔つきで臭いを嗅いでから、ボクの方を振り向いた。

「せっかくのチャオチュールに何を混ぜてんのよ!」

と訴えているのだ。16年も一緒に暮らしていれば、まつりの言っていることくらいすぐに分かる。

「ダメだ、それを食べなさい。本当に死んじゃうよ?」

ボクは猫なで声で語りかける。16年も一緒に暮らしていれば、まつりはたいていの言葉を理解できる。

頑固なまつりはしばらくごはんを眺め、何度かボクの方を振り向いては「チャオチュールオンリープリーズ」と懇願したが、ボクが動く様子がないことを悟ると諦めて食べ始めた。最初こそしぶしぶといった様子だったが、やがてチャオチュールの魅力にヤラれたらしく夢中で食らいつき、あっという間に完食した。

可哀そうなのは父と娘。ランランと目を輝かせて贅沢ごはんを食べるまつりを並んで眺めるしかない。父は「そのチャオチュールとやらをボクにもください」とおねだりし、娘は「いいな~、ずるいな~」とぶつぶつ言っていた。

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それから2~3日はチャオチュールを混ぜたごはんをあげた。ただ、いつまでもそうしているとまつりが猫になってしまいそうなので徐々にチャオチュールを減らし、代わりに犬用ミルクをごはんに混ぜた。

5日ほどで完全にチャオチュールをやめた。でも、チャオチュールのおかげですっかり生きる意欲と食べる気力を取り戻していたので、ミルク入りごはんに文句を言うことなく食べてくれた。

チュール、チュール、、チャオチュール。すごいなあ。

高齢の犬がいて「もしかしたら老衰かな。もう、何も食べてくれないかな...」と諦める前に、ぜひチャオチュールをおすすめしたい。

(荒木NEWS CONSULTING 荒木亨二)

マーケティングを立て直す専門のコンサルティングです。詳しくは下記Webサイトをご覧ください。

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