お父さんイヌの、悲しき日常
「ちょっとぉ~、さっきから何アタシのこと、ジッと見てんのよ!」
「......えっ、もしかしてパパに言ってんの?」
「はぁ? ほかに誰がいんのよ?」
ソファーに座っていた父は、いきなり娘にまくしたてられ思わず目を丸くした。娘の剣幕に圧され、唾を一口ゴクリと飲み込んだ。彼は、別に娘をジッと見ていたワケではない。ただ、ボーっと考え事をしていただけ。その視線がたまたま娘の方を向いており、どこか虚ろな様子が、彼女の逆鱗に触れたらしい。
「いやね、ちょっと考え事を...」
穏やかな性格の父はそう弁解し、娘をなだめるため近づこうとおもむろに腰を上げた。その瞬間、娘は目を見開き、烈火のごとくキレた。
「ウギャー!! ウキャキャキャキャキャキャ!」
親子ケンカの一部始終を見ていたボクは、これはまずいなと、慌てて仲裁に入った。ケンカの原因である娘を抱き上げ、「何でいつもお父さんに突っかかるの!」と、たしなめた。しかし、娘はまだフーフーと鼻息も荒く、隙あらば父に襲いかかろうとしている...。
実はコレ、人間でなくイヌのお話。
我が家には、3匹のパグがいる。母・父・娘という実際のファミリーで、年齢は順に13歳、12歳、11歳。人間でいうなら、全員が揃ってシニアの部類に入る。基本的にはケンカも殆どしない仲良しファミリーだが、ここ数年、父に対する娘の横暴ぶりが目立つようになってきたのだ。
(傍若無人な娘)
父パグが落としたオヤツを盗んでは、笑いながら走り去る。寝ている父パグの頭を踏んづけて歩く。父パグのお気に入りのソファーを占領し、狸寝入りするーー。
この辺りまでは許せるし、現に父パグもずっと我慢してきた。ところが最近は「自分を見ている」という、たったそれだけの理由で、猛烈に怒ることもある娘パグ。あまりの理不尽さに、さすがの父パグも困惑狼狽することしばし...。
この日も娘パグにいちゃもんをつけられた父パグは、人間であるボクの方を寂しげに見上げ、「このやんちゃ娘をどうにかしてくださいよ...」と、無言で訴えているのだった。
(呆然とする父)
父と娘の関係は難しいーー。人間の世界のみならず、イヌの世界も同じらしい。それにしてもパパは大変だなと、いつも思う。
オトナになって知る、おやじの背中
いつの世も、そもそも父親は、娘だけでなく息子にとっても複雑な存在ーー。朝日新聞の連載「おやじのせなか」を読むたびに、そう感じる。
この連載は、各界の著名人が「自分の父親にまつわる想い出」を語るという内容なのだが、いろんな父子関係があるように、実に様々な父親観が登場する。
たいていは、「寡黙で真面目だったけど、優しかった」「いつも自分を見守ってくれていたことに、大人になってから気付いた」など、どこかホロリとさせるストーリーだ。だが稀に、異色な話も飛び込んでくる。
例えば、漫画家の蛭子さんの回。「オヤジが家に帰ってくるのが嫌だった」「オヤジが死んでも悲しいと感じなかった」など、当時の心境を赤裸々に語っている。結局は父親への愛情をしっかり抱いているのだが、当時はちょっと特殊な感情だったらしい。これも一つの父親観なのだろう。
リレー形式の連載なので様々な父親観が登場するが、「おやじのせなか」というタイトル通り、‶多くを語らず、行動や生き方で子どもに見せる〟というのが、どうやら日本の平均的な父親像のようだ。確かに、現在ならいざ知らず、昭和の時代においては、ベラベラと喋る父親というのはあまり見たことがない。
「おやじのせなか」を読むと、ボクはいつも自分の父親のことを想い出すのだが、正直なところ、新聞に載せるような美談もなければ、人が驚くような特殊な経験もない。つまり‶いたって普通の真面目な父親〟というのが、ボクにとっての「おやじのせなか」である。
75歳になった今も元気だ。定年退職した後は、普段であれば読書や散歩、たまに旅行などして暮らしている。毎晩のように酒を飲んでいるが、これも趣味の一つであり、また健康だからこそ飲めるのであって、息子としてはむしろいつまでも飲んでいて欲しいと願う。
さて、ボクが結婚してからの15年は父親とよく喋った記憶があるのだが、それ以前、中学~大学生あたりの記憶があまりない。思春期に入ると、反抗期でもなく仲が悪いワケでもないが、どちらとも「何を話していいのか分からない」という状態になったのだ。
結局、そのまま積極的に話すという機会がなくなり、十数年が経過した。ところがボクが結婚して‶一応のオトナ〟になったのを契機に、再び話すようになった。家庭を持てば、当時の父親の気持ちや苦労など、子どもの時は理解できなかったことも理解できるようになったことが、その背景にあった。
いわば、ボクが父親の境遇に近づいたことで、ようやく‶オトナとして再会〟できたのだ。たぶん、こんな息子と父親の関係は多いのではないだろうか。特に、昭和時代の親子なら。
イマドキの平成親子は友達感覚が強く、思春期も反抗期もないままオトナになるーー。時おりそんな風潮を耳にするが、「思春期に一度別れ、オトナになって再会」という関係も悪くない。離れていた時期があるからこそ、話せることがあり、話せるありがたみも生まれる。
さて、そんなボクが「おやじのせなか」から何を学んだのか。それは「カネは後からついてくる」という発想。言い換えれば、「好きなコトは、好きな時にやれ」だった。
大学生の時、ボクは突然「しばらく海外を放浪したい」と言い出したことがあった。しかし、父親は怒りもせず文句も言わないばかりか、理由も聞かずにパッと気持ちよく50万円を出してくれた。エベレストを登ったりアラスカを放浪したり、そんなこんなの変わった経験が「きっと息子の将来の糧となる。今しかできないコトをさせるのが正しい教育」と、考えてくれたようだ。
普通のサラリーマン家庭、しかも子どもが3人いて、最も教育費のかかる時期だった。さらには、ボクは遊びまわって大学を留年しており、その費用まで払ってもらっていた。そんなバカ息子に、よくポンとカネを出してくれたものだ。
「これは出世払いね」。放浪の旅へ出かける直前、そんな冗談とともに、母親からカネを手渡された。それは、父親が汗水たらして稼いだカネである。しかし、父親とはあまり話をしない時期でもあったため、面と向かってお礼を言ったか定かでないのが、いまだ心残りである...。
さて先月、当コラムで母親のことを書いた。コラムという体裁を取ってはいるものの、それは紛れもなく‶母親への手紙〟である。子ども時代の作文は別として、オトナになってから人生で初めて書いた、母親への感謝の気持ちである。それを読んだ父親の横顔が、実はボクはちょっと気になった。
「来月は父の日だし、オレのことも書いてくれるのかな?」。そんな風に見えたのだ。
ボクの本業はマーケティングのコンサルティングだが、書籍を出版したり雑誌に連載を持ったり、一応はプロ作家のはしくれでもある。プロのシェフが料理を作れば、たとえそれが家族向けだとしても、本来はそれなりの値段がつくもの。つまり、価値が生まれる。
元々ボクの父親は毎月コンビニに通っては、興味もないのに、ファッション誌や経済誌に載ったボクの連載を読んでくれていた。雑誌でなくWebだろうと、息子が自分のために書いたコラムであるなら、嬉しいに違いない。
「やっぱり父親のことも書かなきゃ、そもそもバランス悪いよな...」
父親の横顔を眺めながら、そんな風に思ったのだ。これがボクにできる親孝行というか、父の日とも感じた。でも、そんな素振りはちっとも見せていないので、このコラムを読んだら父親は意外と驚き、そして、けっこう喜んでくれるのはないかと思う。
それなりの父の日
考えてみると、というか考えるまでもなく、日本における父の日の扱いは昔から相当にひどい。子どもたちは母の日は真剣に考えるのに、父の日となると、かなり適当に済ませることも少なくない。
「もらえるだけで満足ですよ。プレゼントをくれる年があったり、ない年があったり...」
「7月に入って、娘に『父の日はいつ?』と聞かれた時は、ちょっとショックでしたね...」
どれも、リアルな父親の本音である。母の日に比べ、父の日のバランスが悪すぎるのだ。例えば花屋にしても、カーネーションがバカ売れする母の日とは異なり、父の日はこれといった動きがないそうだ。要は、花が売れるイベントにはならない。このため普通の花屋は、父の日だからといって何かを仕掛ることはあまりない。
しかし、父親をがっかりさせてはならん! おやじの背中を丸めてはいけない!
ボクは今、イオンの新規事業の花屋「ルポゼ・フルール」のブランドプロデュースを手がけており、父の日もそれなりにやりましょうということになり、チラシを作って専用コーナーを設けることにした。
ちなみに、きちんとでなく、それなりにーー。これが、当企画のミソ。いきなり「母の日のように豪華に!」と言ったところで子どもは面食らうし、また、何をあげていいのかも分からない。
まずは、父の日が6月であることを忘れないように、そして、どんなプレゼントでも子どもからのものなら、とにかく父親は嬉しいのだという事実を伝えねばならない。
40~50代のパパにリサーチしたところ、父の日を祝ってもらえた際の正直な感想とは、「えっ! プレゼントもらえるの?」だった。何とも切ない話だが、父の日を覚えていてくれた、しかも、プレゼントまでくれた。もうそれだけで感激というのだ。
もちろんそれもいいのだが、父の日にあえて花束を渡すなんていうのも喜んでくれると思う。だって、オトコが花をもらう機会なんてそうそうないのだから、たまにはいいのではないだろうか。
ちなみに、冒頭で紹介した我が家の傍若無人な娘パグ。父パグと目が合うだけで「こっち見るな!」「ウギャー!」なんて叫ぶ日もあるが、実は、大のお父さんっ子。
(パパ、寄ってこないで)
父パグが水を飲みにいけば、娘パグも慌ててその後をついていき、一緒に水を飲む。父がお気に入りの場所で寝そべると、無理矢理その脇にくっつくのは、いつも娘の方ーー。まるでゾウの親子のように、常に寄り添っているのだ。
人間もイヌも、どこの世界でも父親は大変なようだけど、それがまさに父親という複雑な存在なのかもしれない。ビバ! 父親。
(荒木NEWS CONSULTING)
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