オルタナティブ・ブログ > シロクマ日報 >

決して最先端ではない、けれど日常生活で人びとの役に立っているIT技術を探していきます。

美談で目を曇らせない、ということ

»

今回の震災を報じる海外メディアの中に、「こんな状況でも日本人は礼儀正しくて素晴らしい」的な論調が少なくないことが度々紹介されています。確かにそれは一面で真実でしょうし、同じ日本人として賞賛されることは嬉しいものですが、すべてを「素晴らしき日本文化」で片付けてしまうことはできないでしょう。例えば先日紹介した『災害ユートピア』でも、被災地で秩序が保たれるという事例を数多く見ることができると指摘されており、この現象は日本に限った話ではないことが分かります。

また以下のように、文化論で片付けてしまうことの危険性を訴える意見も登場しています:

Coverage of Japanese citizens’ ‘stoic’ response to tragedy both accurate, stereotypical (Poynter.)

まず最初に断っておきたいのは、この記事は別に日本人が落ち着いていたことを否定するものではありません(また同じく、自分自身もその点について否定するつもりはありません)。ただし「やっぱり日本人は礼儀正しいからね」的なステレオタイプで片付けてしまうと、その後ろにある現実を見逃してしまうのではないか、と指摘しています:

The problem with what I call “reporting in shorthand” is that it allows journalists to cover people at a superficial level — especially those from a less than familiar culture — and not probe any deeper.

As long as we can rest on cultural generalizations, we believe we understand the situation. Unfortunately, the situation in Japan is more complex than that. People are more nuanced than that.

Let’s push for more precise, shoe-leather reporting like that of Martin Fackler of The New York Times, who in recent days has traveled to destroyed hamlets and cut-off community centers.

Fackler describes how those “in the shelters try to maintain the orderly routines of normal Japanese life, seen in the tidy rows of shoes and muddy boots at the doorway to the shelters, where everyone is in socks. But there are also stressful differences: the lack of privacy, the growing odors of hundreds of unwashed bodies and the cries of fear every night during the countless aftershocks.”

The fact is that not all Japanese people are stoic, just as not all Japanese people are militaristic like the soldiers in all those old war movies.

私が「省略報道」と呼んでいるものの問題は、(特に馴染みのない文化に所属する)人々を表層的にとらえ、深く調査せずに済ませてしまうことをジャーナリストたちに許してしまうという点だ。

文化的な一般化に頼ってしまうと、私たちは状況を理解していると誤解してしまう。残念ながら、日本の状況はより複雑で、人々はより微妙な心理を抱いている。

より正確に言うなら、最近ニューヨークタイムズのMartin Fackler記者が被災した集落を訪れているように、地道な取材を行う必要があるのだ。

Facklerは避難所にいる人々が日常生活を取り戻そうとしている姿を、彼らが靴や泥だらけのブーツを避難所の玄関に並べ、中では靴下を履いて過ごしている様子から描いている。その一方で、プライバシーの欠如、風呂に入れないことから生じる体臭の増加、無数の余震によって毎晩のように起きる恐怖の声など、ストレスだらけの別の姿も存在しているのだ。

全ての日本人がストイックであるというわけではない。全ての日本人が過去の戦争における兵士のように、軍国主義に染まっているわけではないように。

記事が念頭に置いているのは「日本文化についてよく分かっていない外国人記者」ですが、同じ文化に属しているはずの私たちでさえ、こうしたステレオタイプで考えてしまう傾向は否定できないのではないでしょうか。特に自由に被災地に行ける状況ではないいま、「日本人なら~しているはずだ」的な根拠のない思い込みが横行してしまう危険性があると思います。そしてそんな思い込みによって、正しい現状認識が妨げられてしまう危険もあるでしょう。

全てが片付き、被災地に日常が戻った後で「日本人として誇れる行動があった」というのは一向に構わないと思いますし、自分自身もそんな話が数多く出てくることを願っています。しかしいまはステレオタイプで目を曇らせるのではなく、たとえ恥ずべきような状況であっても表に出して、客観的に考えることが必要なのではないでしょうか。また「省略報道」のようなお手軽報道によって、現状を分かったようなつもりにならないよう心がけることも大切でしょう。ただでさえ世論が感情的になっている時に、そのような冷静さを持つことは非常に難しいのですが。

災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか 災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか
レベッカ ソルニット Rebecca Solnit

亜紀書房 2010-12
売り上げランキング : 1193

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

【○年前の今日の記事】

「絶対に負けられない戦い」はテレビ局の試合放棄 (2009年4月3日)
ケータイソムリエがいらない世界こそ (2008年4月3日)
「見える化」から「触れる化」へ (2007年4月3日)
ESPN Sports Travel に見る新しい発想 (2006年4月3日)

Comment(0)