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【書評】創造こそ人間の本質――"How to Fly a Horse"

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モノのインターネット(Internet of Things)、略してIoT。テクノロジーに関心のある方であれば、最近この言葉を聞かない日はないと言っても過言ではないでしょう。実はこの言葉、生まれたのは意外に古く、1999年のことです。提唱したのは英国の無線技術専門家で、MITのAuto-IDセンター(現在のAuto-IDラボ)を立ち上げた人物の一人でもある、ケビン・アシュトン氏。そんな彼が書き上げたのが、"How to Fly a Horse: The Secret History of Creation, Invention, and Discovery"です。

How to Fly a Horse: The Secret History of Creation, Invention, and Discovery How to Fly a Horse: The Secret History of Creation, Invention, and Discovery
Kevin Ashton

Doubleday 2015-01-20
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副題にもあるように、テーマは「創造とイノベーション」。それはどうやって生まれてくるのか?何によって促され、あるいは阻害されるのか?様々な研究成果や物語を通じて、アシュトン氏の思いが語られます。

IoTという言葉の生みの親が書いたのだから、さぞかし理系的で、理路整然とした「イノベーション理論」が説明されるのだろうと想像していました。しかし読み終えたいま、まるっきり逆の感想を抱いています。もちろん支離滅裂だという意味ではなく、創造という行為を後押しする要素が、ひとつひとつ丁寧に検証されています。しかし本書で最も重要なのは、アシュトン氏の「思い」でしょう。何かを生み出すというのは決して一握りの天才が担うものでも、特別な才能が要求されるものでもなく、誰もが参加できる、そして参加すべき本質的な行為なのだ――そんな彼の思いが、読んでいるうちにひしひしと伝わってきます。

たとえば第1章の冒頭で紹介される、バニラの人工授粉に関する話。バニラはメキシコが原産なのですが、そこに生息している小型の蜂が受粉を手伝うため、メキシコ以外の土地に植えても「バニラビーンズ」(香料としてのバニラの原料となるもの)を実らせることが非常に難しかったのだとか。ならば人間の手で人工授粉させればいいじゃないか、という話になるのですが、花が咲いている時間が非常に短いことや、特殊な形状をしていることもあって、人工授粉の方法は長い間確立されないままでした。

しかし19世紀、現在のフランス領レユニオン島で、ついにその方法が開発されます。実はそれに携わった人物は、エドモンという名の奴隷の少年でした。彼は竹で作った楊枝のような道具を使い、受粉させることを思いついたのです。現在でもフランス語ではこの手法のことを「le geste d’Edmond」、すなわち「エドモンのジェスチャー」と呼ぶのだとか。

そんな長い間待望されてきた、画期的な手法を、一人の奴隷の子供が考えた。当時からそれは信じがたい事件だったようで、エドモンの手柄を横取りしようという人物まで現れるなど、彼の名前は闇に葬られそうになります。しかし彼の「所有者」であり、プランテーションのオーナーでもあったフェレオールという人物が、考案者であるエドモンの名前を歴史に刻もうと奔走します。その結果、「エドモンのジェスチャー」が今日まで残ることになったわけですが、アシュトン氏はこうした名も無い「エドモン」たちが、様々な発明やイノベーションの裏に隠れているはずだと訴えます。

逆に「発明とは天才がひらめきを得て生み出すものだ」的な神話に対して、彼は徹底的に批判しています。どんな発明も、エドモンのような人物が何人も参加し、少しずつ成果を前に進めてきた結果なのだと。アイザック・ニュートンが生み出したとされる、有名な「巨人の肩に乗る」という表現ですら、「巨人の肩に乗っていた」ことが指摘されます:

In 1676, Isaac Newton described this problem when he wrote, “If I have seen further it is by standing on the shoulders of giants.” This may seem like modesty, but Newton used it in a letter where he was arguing with rival scientist Robert Hooke about credit. The comment became famous, and Newton is frequently cited as if he coined the phrase. But Newton was already standing on the shoulders of another when he wrote that sentence. Newton got it from George Herbert, who in 1651 wrote, “A dwarf on a giant’s shoulders see farther of the two.” Herbert got it from Robert Burton, who in 1621 wrote, “A dwarf standing on the shoulders of a giant may see farther than a giant himself.” Burton got it from a Spanish theologian, Diego de Estella, also known as Didacus Stella, who probably got it from John of Salisbury, 1159: “We are like dwarfs on the shoulders of giants, so that we can see more than they, and things at a greater distance, not by virtue of any sharpness of a sight on our part, or any physical distinction, but because we are carried high and raised up by their giant size.” John of Salisbury got it from Bernard of Chartres, 1130: “We are like dwarfs standing upon the shoulders of giants, and so able to see more and see farther than the ancients.” We do not know from whom Bernard of Chartres got it.

1676年、ニュートンはこの点について、「私がより遠くまで見渡せたのだとすれば、それは巨人の肩に乗っていたからだ」と記した。ニュートンが謙遜しているように感じられるかもしれないが、実はこの言葉が登場する手紙は、ライバルの科学者であるロバート・フックに対して、功績に関する文句を言う内容になっている。ともあれこの表現は有名になり、ニュートンが生み出した言葉として引用されるようになった。しかしニュートンは、この表現を書いた時にも巨人の肩に乗っていたのである。彼の文章は、ジョージ・ハーバートが1651年に書いた、「巨人の肩に乗った小人は、そのどちらよりも遠くを見ることができる」の引用だった。そしてハーバートの文章は、ロバート・バートンが1621年に書いた、「巨人の肩に乗った小人は、巨人よりも遠くを見ることができる」の引用だった。バートンの文章は、スペイン人の神学者ディエゴ・デ・エステーリャ(ディダクス・ステーリャとしても知られる)の言葉を引用したもので、その言葉は恐らく、ジョン・オブ・ソールズベリーが1159年に書いた「我々は巨人の肩に乗った小人のようなもので、従って巨人よりも遠くまで見渡すことができるが、それは私たちの目が良くなったからでも、体格が良くなったからでもなく、巨人が私たちを高いところまで引き上げてくれているからだ」の引用だ。ジョン・オブ・ソールズベリーの文章は、ベルナール・オブ・シャルトルの「私たちは巨人の肩に乗った小人のような存在であり、従って昔の人々よりも遠くまで見渡すことができる」を引用したものだ。ベルナール・オブ・シャルトルが誰の言葉を引用したのかは分からない。

もし創造やイノベーションが天才によるひらめきなどではなく、地道な行動の積み重ねであるのならば、それを達成する重要な要素とは何か。それはアイデアを思いつくだけでなく、行動に移すことであり、さらに失敗してもあきらめずに行動を続けることであるとアシュトン氏は訴えます:

Creators redefine failure. Failure is not final. It carries no judgement and yeilds no conclusions. The word comes from Latin fallere, to deceive. Failure is decit. It aims to defeat us. We must not be fooled. Failure is lesson, not loss; it is gain, not shame. A journey of a thousand miles ends with a single step. Is every other step a failure?

何かを創造する人は、「失敗」の意味を再定義する。失敗とは終点ではない。何らかの価値判断を含むものでも、ましてや結論を意味するものでもない。失敗(failure)という言葉の語源は、ラテン語の"fallere"だが、これは「騙す」という意味だ。失敗とは欺瞞であり、私たちを打ち負かそうとする。騙されてはならない。失敗とは教訓であり、損失ではないのだ。何かを手にしたのであり、恥じる必要などない。1000マイルの旅も、最後は1歩で終わる。それ以外の歩みは失敗なのだろうか?

なかなか熱い表現です。好みは分かれるかもしれませんが、こうした感情に訴えるような表現が、本書の味のひとつでしょう。いま現在、何かを生み出すことに携わっていて、その先行きに不安を感じている方であれば、本書のメッセージに強く共感されると思います。

もちろんそんな自己啓発的な精神論だけではなく、実際に仕事や生活上で使えるアドバイスも収められていますのでご安心を。しかし小手先のテクニックではなく、なぜ私たち全員が創造に参加できるのか、そして参加すべきなのかを説く本書は、いわゆる「メイカーズ」の流れが強まりつつある現代を後押しする一冊ではないかと感じています。

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