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あらゆるコンテンツが未完成となる時代

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昨年末にご紹介した、ウンベルト・エーコとジャン=クロード・カリエールの共著『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』。この本が個人的にとても気に入ったことは既に書いた通りですが、もう1つだけ引用しておきたい発想があります。

といっても1つの文章ではなく、いくつかの箇所に分散しているのですが、失礼して全て引用してしまいましょう。まずは222頁、エーコの言葉:

E: 我々の問いにはたぶん一つの答えがあると思うんです。書物の一冊一冊には、時の流れのなかで、我々が加えた解釈がこびりついています。我々はシェイクスピアを、シェイクスピアが書いたようには読みません。したがって我々のシェイクスピアは、書かれた当時に読まれたシェイクスピアよりずっと豊かなんです。

次に224頁、カリエールの言葉:

C: 傑作は最初から傑作なのではなく、傑作になってゆくんです。もう一つ言っておきたいのは、偉大な作品というのは、読まれることで互いに影響を与えあうということです。セルバンテスがカフカにどれだけ影響を与えたかということはおそらく説明できるでしょう。しかし――ジェラール・ジュネットがわかりやすく示してくれていますが――カフカがセルバンテスに影響を与えたとも言うことができるのです。もしセルバンテスを読む前にカフカを読んだら、読者はカフカの影響で、みずから、そして知らず知らずのうちに『ドン・キホーテ』の読み方を変えてしまうでしょう。我々の生き方、個人的な経験、我々が生きているこの時代、受け取る情報、何もかも、家庭の不運や子供たちがかかえる問題までもが、古典作品の読み方に影響を与えるんです。

最後に368頁、同じくカリエールの言葉:

 もう一つ問題があります。たとえば、私はカフカの『城』を昔々に読みました。しかしそのあとに、『城』をかなり自由に脚色した映画を二本観ていまして、そのうちの一本はミヒャエル・ハネケの作品なんですが、このハネケの『城』のせいで、当初の印象はかなり歪んでしまい、読んだ内容についての記憶も当然曖昧なものになってしまいました。映画を観てから、私は映画監督たちの視点を通して『城』のことを考えているんでしょうか。

確かに私たちがある作品(文学作品だけでなく、映画や音楽など、あらゆるコンテンツに言えることでしょう)から受ける印象や感想は、それを取り巻く環境や、自分自身のこれまでの経験と無関係ではあり得ません。従ってカリエールの言う通り、過去の作品が現代の作品に影響を与えるだけでなく、現代の作品が過去の作品に影響を与えることもあり得るわけですね。さらに文学が文学に影響を与えるのは当然として、映画が文学に影響を与えるなど、コンテンツの壁を越えることも不思議ではないと。

この考え方を読んで感じたのですが、現代ほど「あらゆるコンテンツが未完の状態にある」時代はかつてなかったのではないでしょうか。ネットサービスの進歩によって、ある作品と別の作品をつなげる「レコメンデーション」や、他人の評価を知ることができる「レビュー」、そして友人の意見が流れ込む「ソーシャルメディア」など、コンテンツの捉え方を変えるメタ情報が簡単に手に入るようになりました。テレビ番組を観ながら、友人が発したツイート1つで見方が変わる――そんなことも珍しくありません。

逆に言えば、何かコンテンツを楽しむ場合、積極的に情報を集めることで様々な側面を発見できるようになるのではないでしょうか。またコンテンツ提供者の側は、自らの作品が積極的に他のコンテンツとつながるように働きかけることで、「価値のある側面」を見つけてもらえる可能性を高めることができるかもしれません。いずれにせよ、もはやメタ情報を完全にシャットアウトするのは不可能な世界となりました。であれば、「未完成」状態をどう利用して行くのか?という方向に考え方を切り替えるべきではないかと思います。

もうすぐ絶滅するという紙の書物について もうすぐ絶滅するという紙の書物について
ウンベルト・エーコ ジャン=クロード・カリエール 工藤妙子

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