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無駄の副産物

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北尾トロさんの『ほんわか! 本についてわからないこと、ねほりはほり!』を読んでいます。雑誌『ダ・ヴィンチ』で創刊当初から続く人気連載を文庫化したものですが、その中で「ネットを使わずに絶版本を探しに行く」という実験を行った際(ちなみに1997年の話)の感想として、こんなことが書かれています:

個人情報誌(懐かしい!)に始まり、あてずっぽうの古本屋めぐりから最後は中上健次の故郷まで。我ながらしつこい調査である。

いまならインターネットを使って、ラクに、確実に、本を探すことが可能だから、ここに書いた地を這うような追跡法に実用的な意味はない。ぼく自身、こんな探し方をいましようとは思わない。しかし、便利になった反面、本1冊のために和歌山まで行き、入手はできなかったかわりに中上健次の関係者に会ったり、墓参りしたりといった“副産物”に出会いにくくなったことも事実。古本屋の均一台で、思いがけない出会いに心震えることも激減している。

仰る通り、実験当時から10年以上経過した現在では、ネットを使って絶版本でも何でも簡単に探すことができます。例えば本書では『からっぽの朝』『スパニッシュ・キャラバンを捜して』などといった本を探しに行っているのですが、今ならどちらもオンライン書店/古書店で入手が可能。手足頭を使わなくても良いばかりか、家の外に出る必要すらありません。

しかし、効率化によって失われた「副産物」の何と魅力的なことか。引用部分でも少し触れられていますが、北尾トロさんは『スパニッシュ・キャラバンを捜して』を探すために著者(故中上健次氏)の出身地である和歌山におもむき、市立図書館の仲介で中上氏の私塾的存在である「熊野大学」のメンバーと会い、貴重な話を聞く機会を得るという「ひょっとすると本を手に入れることより貴重な体験」を手にしています。クリック1つでお目当ての本を手に入れられるという状況と、苦労しつつもこんな副産物が得られるという状況、どちらが羨ましいでしょうか?

もちろん、求めているモノや情報が簡単に手に入るというのも大切なことです。しかし省略された時間は決して「無駄」だったわけではなく、上記のような「貴重な体験をする可能性のあった時間」なのだと捉えることが必要なのではないでしょうか。カーナビだって指し示してくれるのは最短ルートだけで、美しい夕焼けに出会えるルートや、懐かしい友人に再会できるルートではありませんよね。

ちなみに北尾さんの文章はこう続いています:

おもしろいことは無駄な動きが呼び込むもので、効率が良くなればなるほど無駄は排除されてしまうのだ。便利さのおかげで省くことのできた「時間と手間」を何に使うか。忘れちゃいけないポイントだと思う。

厳しい一言ですね……グーグルのようなサービスがせっかく作り出してくれた時間、本当に有効活用できているのかどうか。怠けることに使われてしまうのなら、またいずれ「グーグルで人はバカになる」的な議論が起きてしまうと思います。

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Comment(2)

コメント

思いがけない出会いに心震える、無駄の副産物...死ぬ時にはこちらの方が懐かしく思えるかもしれませんね。

アキヒト

佐川さん、コメントありがとうございます。

確かに死ぬときというか、ずっと心に残り続けるのは、本そのものではなくその周囲で起きた出来事かもしれませんね。僕自身、論文を書くために文字通り「図書館に住んでいる」状態だった学生時代の方が、グーグルで何でも調べることができる現在より楽しかったように感じることがあります。

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