お金を使うまでが、コスト削減です。
オルタナティブ・ブログのばんちょ~から「コスト削減」というお題が出ていますので、僕も1つ書いてみたいと思います。
コストはムダ。ムダは省かなければならないということで、コスト削減に取り組むのは当然の話です。しかし「ムダ」とは何でしょうか。例えば一束500円の上質紙を、見た目がまったく同じ一束300円の再生紙に置き換えることが可能なら、上質紙を使い続けることで発生する200円分のプラスはムダと言えるでしょう。それでは、次のようなケースではコスト削減は正しいことだったのでしょうか:
- これまで業務を委託していた会社を、別の安い業者に切り替えた。新しい業者はミスを連発し、お客様からのクレームが増えた。
- 社員の書籍購入を補助する予算をカットした。社員は目の前の仕事に役立つ本しか買わなくなり、次世代に対応するためのスキルが低下した。
- オフィスに設置していた無料コーヒーを撤去した。深夜に残業する社員の覇気がなくなり、コンペに負けるようになった。
ほとんど言いがかりに近いですが(笑)、これに近い経験はどなたにもあると思います。前述の「500円の上質紙を300円の再生紙に置き換える」のように、単純にお金だけをカットできるというケースの方がむしろ例外ではないでしょうか(特にカットする金額が大きければ大きいほど「お金だけ」は難しくなるでしょう)。コストは決して紙の上だけの存在ではなく、十体を持つ存在です。何も考えずに引き抜けば、社員のモチベーションやアウトプットのクオリティなどといった要素に影響を与えていますし、また引き抜くことで新たなコストを生んでしまうという危険もあります(業務を効率化するはずの新システムが、実は……以下自重)。
だからと言って現状を維持しろ、という意味ではありません。大切なのは「コスト削減とは仕組みを変えること」という意識を持つことではないでしょうか:
- クレームは増えたが、我々は高級ブランドを目指しているのではない。サービスのクオリティも重要だが、それより今後は安さやスピード感を重視する。
- 重要なのは、いま目の前にあるプロジェクトだ。将来への投資という意味合いを持つプロジェクトは別に立ち上げ、そこで得た知見を社内展開させよう。
- 深夜まで働かざるを得ない方がおかしい。スケジュール管理のトレーニングを再度実施し、締め切りギリギリに作業が偏ることのないようにしよう。
考えてみれば、コスト削減には何らかの目的が存在するはずです。浮いたお金で何をしたいのか、それにはどんな準備や前提が必要なのか。単に「お金をカットします」で終わるのではなく、「今度は~にお金を使います」まで言えなければ、コスト削減の成功は見えてこないでしょう。そのためには、カットが行われた後の新しい仕組みが描けていなければなりません。
というわけで、タイトルは例によって若干釣りを入れてみましたが(笑)、コスト削減とは結局「大切なお金をどう使うのか?」と考えることなのだと思います。何を追求して、何を捨てるのか。未来のない捨てろ、捨てろの大合唱だけでは不十分ですし、現場の人々に閉塞感を抱かせるだけになってしまうのではないでしょうか。
コピー用紙の裏は使うな!―コスト削減の真実 (朝日新書 37) 村井 哲之
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