帝王学の歩き方:「全能感」にとらわれない
[帝王学「貞観政要」の読み方]を読み進めるうちに、源頼朝と初期の北条政子と徳川家康がこの考え方を熱心に学び活かしたとわかりました。特に北条政子は中国の書を自力で読むことが難しかったので部下に日本語に訳させてまで学んでいます。(源頼朝の影響という説もあるようです)この3人の共通点は、「全能感にとらわれなかったこと」とも言われるようです。
だが、ここの魏徴の言葉、これは「太平御覧」からの引用だが、今言ったことと少し違ったニュアンスがある。というのは、そういう状態は決して悪い状態ではなく、「帝何ぞその間に力あらん」と思われる状態を招来すること、いわば「統治されている」という意識さえも持ちえない前提を作り出すことを、政治の理想としている点である。確かに平和、安全、自由などは「空気」のようなものだから、それが確保されている時は人は意識しないし、これが不可欠の前提で、この前提を創出し維持してくれている者は誰であろうかなどとは考えない。そして、そう考えねばならぬ時は、それが失われて「自ら保つことを得んや」の不幸な時なのである。いわば、その存在を意識されないような状態が最高の状態なのだから、太宗も「朕が賜う所なり」などという意識を持ってはならない、ということ簡単に言えばリーダーたるものは「感謝しろ」といった意識は決して持ってはならない、ということだろう。
帝王学の中では、繰り返し「権力との付き合い方」が解かれています。「全能感」とは、まさになんでもできる状態というところでしょうか。立場がそうさせているのか周囲がそうさせているののかはそれぞれですが、そこから自分の身を持ち崩したリーダーも多いようです。
権力の範囲が大きくなくても、たとえ数人の小さな企業やチームでも同じこと。こう言った立場にあるときほど、謙虚でありたいものです。
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