帝王学の歩き方:「十思」「九徳」 身につけるべき心構え
名物番組「笑点」で、長年司会を務めていらした桂歌丸師匠が司会の座から勇退されました。出演も50年にわたる大ベテラン。私たちはテレビで垣間見る世界しか知ることができませんが、落語の世界も厳しい師弟の世界。芸の道には相当厳しく、今もなおご自分に厳しい方なのだそうですね。出演者の皆さんが時折涙ぐんでいるかのように見えるのも、歌丸師匠の人柄がにじみ出ているように思えました。
まだまだ噺家として私たちを楽しませていただきたいものです。
そんなところからも垣間見れる心構えについて。
今日は、「九徳」を取り上げてみたいと思います。
「寛にして栗(りつ)」(寛大でしまりがある[逆]こせこせうるさいくせに、しまりがない)、「柔にして立」(柔和で、ことが処理できる[逆]とげとげしいくせに、ことが処理できない)、「愿にして恭」(まじめで、丁寧で、つっけんどんではない[逆]不まじめなくせに尊大で、つっけんどん)、「礼にして敬」(事を治める能力があり、慎しみ深い[逆]事を治める能力がないくせに、態度だけは居丈高)、「擾にして殻」(おとなしく、うちが強い[逆]粗暴なくせに、気が弱い)、「直にして温」(正直・率直で、温和[逆]率直にものをいわせないくせに、内心は冷酷)、「簡にして廉」(大まかだが、しっかりしている[逆]何もかも干渉するくせに、全体が掴めない)、「剛にして塞」(剛健で、内も充実[逆]みたところ弱々しく、内も空っぽ)、「疆にして義」(強友で、義しい[逆]気の小さいくせに、こそこそ悪事を働く)。
誰もが人間なので時にはパーフェクトではなく人間らしいところがある方が愛嬌があるとも思いますが、この徳は何のためにあるのかということについてこう記されています。
魏徴は、ようしを記せば次のように言っている。「まず、リーダーはこの十思で自らを統御し、部下の九徳を弘め、能力のあるものを適材適所で任せ時、善い者・正しい者の言葉で身を正せば、全員がその能力を喜んで発揮するでしょう。」
何のためにどのような組織を作るのかはそれぞれです。しかし、人が集まり力を合わせ、何かをなしえてゆくためにはただ単に能力の高い人が集まっただけでは成し得ません。改めて「貞観政要」は部下の目線から捉えた上司(本来は皇帝)への助言です。時には厳さもありながらも、国のリーダーとして「こういう人たちについて行きたい」という声がこうして教えとなって語り継がれているようです。
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