オーストラリアの今世紀最大の財政改革から感じる官僚改革から始める日本の財政改革
おはようございます。吉政でございます。
TVで解説をしていた「オーストラリアが実行した財政改革」から思うことを書いてみたいと思います。
1980年代オーストラリアは財政難に苦しんでいたそうです。
一般政府財政赤字が単年度GDP比で14%になっていて、累積ではGDP比50%になったそうです。改革の立役者のホーク労働党党首と大蔵大臣のキーティング(のちの労働党党首)がいうには臨界点に達しようとした財務状況だったとTVは報じています。
一般政府財政赤字 累積でGDP比50%で臨界点。。。
ちなみに日本は200%を超えたそうです。経済市場の状況も国の状況も違うので一概に比べてはいけないのかもしれませんが、200%オーバーは、ちょっとねぇという深刻な状況だと思います。
TVキャスターは続けます。「震災後に訪れるのは大不況。。。そうならないためにはわれわれは変わるべき」と。まさにそうだと思います。
ちなみに、オーストラリアの財務改革の成功の理由をTVキャスターは「与党党首と大蔵大臣が音頭を取る予算委員会があり、ここで決まった歳出削減案は最終決定であり、各省は反対できないことである。各省は予算が無いなりに運営をしたそうです。」と解説していました。
この部分は日本とは大きな違いがあると思います。
日本もGDPの大幅拡大を前提とした財政運営からGDPが拡大しないことを前提とした財政運営に変えることが必要に思えるのです。
私は政治に明るくないのですが、TVなどで「腐敗した政治」とか「政治家が弱い」説いた話を聞きますが、本当に問題なのは官僚のような気がします。明確に調べていないのにこのようなことを書くと、怒られそうですが、少し調べればいくらでも出てきそうですね。
さて、本題に戻りますが、上記のように感じる中で、ふと思ったのですが、、、
「官僚のトップの天敵は誰でしょうか?」
政治家の天敵はいくらでもいそうですし、官僚のトップも政治家の天敵なような気がします。
政治家はいろいろたたかれ、ジャンジャン変えられいますが、官僚は表ざたにならずに自分たちに都合が良いルールと体制を天敵ないない環境で長年培ってきているように思えます。そうなると、ジャンジャン変えられて矢面に立ち続けている政治家 VS 天敵がいない環境で聖域を作り続けてきた官僚いたとしたら、勝負は明らかですよね。
日本は大国だから、そんなに簡単なことではない。
大人の事情があるから、難しい。
などなど、日本の財政が良くならない理由はたくさんあると思うのですが、会社組織でもそうですが、マネジメント層が肥大化して意思決定力と実行力が落ちた会社は必ず淘汰されると思います。
そもそも政府が決定した予算削減案を、省庁トリガーで復活することも多いようです。
そこで、このブログの革新に入りますが、政治家が政治家の名前で責任を背負って判断した案を省庁が覆そうとするなら、その省庁はその案を出した責任者の実名を公開したうえで、国民が誰もが見ることができる場で、政府が下した案を変えるための答弁をしてほしいです。
そして国民の目で見て、国益にならない案を出すような官僚がいるなら、その非難の矢面にその官僚個人が立つべきと思います。これは官僚の天敵が国民の目となるような意味合いを指します。この仕組みは現在も存在していますが、重要なのは国民の目が光る先が省庁自体ではなく、官僚トップの個人にするべきと言うところが大事だと思うのです。これによって、官僚と政治家のパワーバランスも適正化に近づくような気がしました。
素人が感じたままに書いたブログです。もし詳しい人がいたら、是非、いろいろな意見を聞いてみたいです。宜しくお願いいたします。