今年からの抱負はSaaS(奉仕としてのサービス)です~番長と遊ぼう~
平成22年の抱負はService as a ServiceでSaaSです。
サービスというといろいろな意味で使われてわかりづらい言葉です。英和辞書で調べるところでは
- 奉仕、貢献(”サービス”残業)
- サービス(経済学でいう財とサービスのサービス。”サービス”産業など)
- 公共事業、運行(回送電車のout of serviceなど)
あたりが中心に出てきます。加えてITの世界でサービスというとこんなところが思い浮かぶことがあります。
- windowsのサービス(バックグラウンド動作するプログラム)
- 提供される機能(Webサービス、メールサービスなど)
- ネットワーク越しに機能を提供すること(~ as a service)
今年の抱負としたいのは、「Service as a Service=奉仕としてお客様にサービスを提供すること」です。これはこれまでも取り組んできたことですが一層やっていきたいと思いますし、今年だけでなく今後もやっていきたいことです。
単に形に残らない労働を行うこともサービスです。例えばファーストフードの店員のスマイルは気持ちがこもっていてもいなくても立派なサービスです。しかしサービスは形に残らないからこそ、お客様に提供できる価値は何か、お客様が得る便益は何かということを強く意識しなくてはなりません。それでService as a Serviceという言葉を常に心に留めておきたいと思いました。
そのように考えるとブログを書くことは記事を読んだ読者の心に何かを感じてもらうという意味で”サービス”の性質を帯びたものですし、ブログを書く動機の中には知ってもらいたい、おもしろいと言ってもらいたい、という奉仕の精神を帯びています。ブログを書くことを通じて、サービスとは何か、どのように提供していくべきかということを考えられるのはとても幸せなことではないかと思います。現にオルタナブログをはじめとした多くのブログで多くの人がブログを通じた情報提供というサービスを供給し、新しい情報を提供したり気付きを与えたりするなど多くの貢献をしています。そしてその中には現実世界で素晴らしいサービスを提供する方が少なくありません。自分もブログを書くことを通じて高みに至れるよう、尽くしていきたい気持ちです。
ここからは余談です。「奉仕としてサービス」というフレーズから思い浮かぶものがある方はどれくらいおられるでしょうか?これは私の好きな大学のひとつである関西学院大学のスクールモットー、Mastery for Serviceから取ったものです。「奉仕のための練達」という訳語として知られるこの言葉を聞き、関西学院大学の創立からの流れを調べたのは高校3年生の夏でした。働くとはどういうことか、なんのために働くのか、全然わかっていないながらにおぼろげに自分が働くことと、他人に幸福や価値を提供することのつながりを見出そうとしていたのかもしれません。
そんな中でMastery for Serviceという言葉は余計に将来が見えなくなりそうな難しい言葉でしたが、おとなになるとはそういうことなんだろうとなんとなく腑に落ちるという不思議な言葉でした。大学選びではそんな感じで他にいろいろとリサーチした結果、自分には立派すぎるスクールモットーのある関西学院大学よりも若干チャランポランな感のある同志社大学に傾倒することになります。琵琶湖のほとりと仁和寺の隣の大学は従兄弟の同志社OBが従兄弟のびわ湖OBを馬鹿にしまくっていた刷り込みにより選択肢から外れました。コミンテルンとか。
同志社大学には「良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)の起り来(きた)らん事を」という言葉がスクールモットーとして掲げられています。意味はそのまま、良心が全身に充満した青年が現れることを望んでやまない、という意味です。(当時男子校です。)良心、というところで世のため人のため、という雰囲気を感じさせつつも自分のやりたいようにやるぜ、という本音が垣間見えるようで好きです。何をしでかすかわからないような危うさも匂わせます。さすが江戸時代に死刑の危険を犯してアメリカに渡る人は違いますね。
自分の理想のために国禁を破ってしまうようなワイルドな人を創立者を持つ同志社大学。このブログにも、そこを卒業した者として、良心碑を見て学校に通った者として、何か自分のハートに正直な行動をという思いが現れているところがあるかもしれません。
Mastery for Service(関西学院大学のHPにある第4代関西学院 院長ベーツ博士のスピーチ原文へのリンクです)