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ゲームが楽しみ以上の価値を持つとき

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先ほど、うちの子供が明日の朝目覚めたときに備えてきかんしゃトーマスの線路セットを構築して参りました。子供にとっておもちゃというのは非常に大事ですのでしっかりと選んであげたいものです。プラレールバージョンでなく、自分で押さないと走らないタイプの木のトーマスにしてみました。

周りを見渡してみるとトミカ、ガンプラ、プラレール、レゴなどは自分たちが子供のときから変わっていない製品が多いです。特にこれらはスケールなどが同じため、自分がこどものときに使っていたレゴが今売っている製品と接続できるという便利さもあります。自分が子供のときの気持を思い出して自分の子供と遊べる、これは素晴らしいことだと思います。

子供はおもちゃを使っていろいろなことを覚えていきます。その中で、ゲームというものもあります。最近では言われなくなりましたがゲーム脳という言葉が一時期もてはやされ、悪いものとして受け止められる風潮がありました。しかしながら自分はゲームの価値を高く評価しています。

ゲーム(テレビゲーム)は基本的に将棋やトランプと変わりません。将棋やトランプは昔から頭の体操になると言われてきましたが、子どもたち同士でやる間はそれ以上の価値は生まれにくかったように思います。それに対して子どもが大人と対戦すると大人のやり方を学ぶことができます。将棋やトランプ、特に囲碁はかなり壮大な世界観を伝えることができますが、反面子どもたち側にそれを受け取るキャパシティが足りないようにも思います。また、のめり込める子どもが少なく、大人たちも最近は子どもを引き込めるほど技術を持った人というのが少ないのではないかと思います。その点、テレビゲームは誰もが比較的短時間で競い合えるようになるという特徴を備えています。

ゲームを通じて遊ぶことは、体格に差がある大人と子どもが同じ条件で(時に公正なハンデにより対等の立場で)戦い、さほど後腐れなく終われるという非常に大きな特徴を備えていると思います。我々の世代は大人とファミコンをする時間というのはさほど多くありませんでした。しかしこれから大人になる世代はゲームを通じて大人の考え方を学び、自分なりに加工して扱えるように噛み砕くことができるようになっていることでしょう。

例えば先日、姪とDSのマリオカートをやったのですが、いくらスーパーファミコン時代にやりこんだとはいえ現役の小学生には適いません。なんとか当時の男子の間での常套手段を使って勝ちました。女子的にはあまり使われないと思われる手です。アイテムの箱のところにダミーの箱を置く、コーナーのインのギリギリにバナナを置く、スターで無敵になれるときはあえて抜かせて後ろから追突する、などなど。

ゲームの中で許されていることは何をしてもいい、という考え方もあれば、それはひどいのでルールを上書きする、ということもあります。それについてはプロのゲームクリエイターの方が考えぬいたゲームバランスを上書きするわけですから、簡単にはできません。また、通常許されないような攻撃をしかけるということもできます。生身の肉体のほうをくすぐる、などなど。もちろんそういったことも、時と場合を選ばなくては雰囲気を台無しにしますし、反対にルールを破るからお腹が痛くなるほど笑い転げることができるという体験もあるはずです。こういった経験を積むことで社会性というか社交性というか、そういったお付き合いの仕方を学んでいくことができるのではないかと思います。

ゲームはなにも子どもだけのものでなく、自分も先日ゲームを通じた学習をしました。よくビジネス関連のセミナーでも「ゲーム」といわれるものをやります。砂漠で生き残るとか、書類に優先度をつけるとか。それに比べるとこれはかなり本気のゲームでした。自分が受講したのはITILファンデーションの研修で評判のHPのコースです。

http://plusd.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0506/06/news079.html

ITmedia エンタープライズ:日本HP、F1シミュレーションでITILファンデーション資格を目指す新コース via kwout

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ITの運用管理の現場では、ユーザと運用側とでいろいろなコミュニケーションをとりながら事態が展開されていきます。例えば運用管理者がどれだけコンソールを見つめていても、ユーザに体感される障害をすべて見つけることは非常に難しいことです。この研修ではおよそ15人のメンバーが一丸となり、何名かがユーザとしてシステムの異常(体感されるもの)を検知、報告します。残るメンバーは運用管理者としてユーザから訴えられる異常の原因を特定し、問題を解決します。問題の解決を行ったらそれをデータベース化しておくと次の障害の回復が早まります。また、予防保守もできますし、自分たちで問題の解決に時間がかかりそうだと感じた問題については資金を投じてコンサルティングを依頼することもできます(ゲーム中では一瞬で障害が解決されるジョーカー的な扱いです)

こうしたゲームを通じ、一緒に受講した我々は確かに成長したことを感じることができました。3回行ったゲームのスコアが右肩上がりに上昇していったからです。毎回のゲームの完了時に何が悪かったかのレビューを行い、15名の配置や役割分担を見直し、連絡票を改善しました。1回目のゲームの最中には自分たちでも成績が悪いまま終わりそうなことがはっきりと感じられましたので、非常に険悪なムードになった場面がありました。それが3回目のゲームで「勝ち」を意識した瞬間は非常に満ち足りた雰囲気であり、ジョークなどが飛び交う楽しい時間でした。

ゲームを通じ、子供は大人から知らないこと、新しいことを学ぶことができます。そうしたものの中には言葉で伝えるのが非常に難しいこともあります。自営業や農業漁業などで自分の子どもと一緒に仕事をする時間が多ければそういったものも伝わるのでしょうが、そうでない職業の人は非常にたくさんいます。例えばゲームの種類によっては秒単位での判断の繰り返しが求められます。子どもは自分の親とゲームをするとき、親のの判断の積み重ねを目の当たりにすることで、極端に言えば「人間の野性的な部分」を見られるのではないかと思います。というかスポーツとゲームを除いて子どもの前で必死になることなどほとんどありません。仕事の姿は見せられませんからね。ロールプレイングゲームでも、お金をしっかり貯めて着実に進むこともあれば、ギリギリのラインで最短時間クリアを目指すやり方もあります。さらにそれらは現実の生き方とリンクしている必要もありません。すると、自分が今どうであるかはさておいてゲームという設定を利用して自分が伝えたい様々なことを教えてあげられることになります。

我々大人も、ゲームのおかげで安心して失敗を体験することができます。また、物事の性質を極端に増幅した世界を体験するようなこともできます。例えば飛行機や車のシミュレーションでは悪天候などの条件を簡単に再現することができます。

ここからさらに先に話を進めたとき、どのような未来が待っているでしょうか。今の子どもと大人の大半は何らかの形でゲームと接触を持っています。今またWiiやDSなどを通じて老人世代にゲームが展開されようとしています。老人に蓄積された「知恵」のようなものを伝えることができるか。また、戦争に突入していったときの「空気感」を伝えることができるか。ゲームにはまだまだ大きな可能性が秘められているように思います。まぁでもほどほどに。

Comment(2)

コメント

NAKA@情報インフラ24時

ITILトレーニングのF1ワークショップ、評判ですよね。もう少し景気の良い時期が続いていれば、かなり有名になっていただろうなと思います。ちなみにこのワークショップ、1回目は必ず失敗するようになっているそうですよ。

NAKAさん、コメントありがとうございます。
1回目の失敗は仕組まれていたんですか!!
そうだとしてもユーザ部門とシステム部門が相互不信に陥りかけるなど非常に興味深い経過でしたよ(笑)

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