もはやニュースは流れるものではない
ニュースは「流れる」と言われますが、PCの普及により誰でも簡単に蓄積して分析し、また世界に向けて発信することができるようになりました。ニュースを報じる側が「ニュースは流れるもの」という意識を変えなければ新しい問題が生まれてくる危険があるように思います。
工藤さんが「事故物件」のサイトに関してこのようなエントリを書いておられました。
気持ち悪がるのは問題ない事ですが、僕的にはあんまりこうして恒久的に残る情報として、WEBに残していくことについては、これについてはあまり良くない事なんじゃないかなと思います。
まったく同感です。自分はあまり気にしないほうです。しかし世間には色々な人がいますので、中には「好きで事故物件に住むなんて変な人に違いない」と見られることがあるかもしれません。自分だけが事故物件だと知っている、というレベルなら住むことの抵抗は小さいですが、誰もが事故物件であると知っているところに住むのはこういった点で大きな抵抗を感じます。
さてこちらのニュースを聞いたときに自分のブログのずいぶん前のエントリを思い出しました。
例えば、マスコミ報道から犯罪が起きた地域を集計するシステムを構築し、不動産業界向けに販売したいという引き合いが来たらどうしたら良いでしょうか。
エントリの内容はパトレイバーに関するものですが、このアニメ作品が企業犯罪をテーマにしているところから色々と考えを広げてみました。例えば今回話題になっているサイトですが、個人の仕事であると思われます。もしこれが不動産業者のサービスであればかなり大きな問題になったのではないでしょうか。
また、ベースとなっているグーグルマップはもはや「ツール」という認識が一般化していますし、海外発のサービスということで今回は批判の対象になっていないように思います。これがもしちょうど今話題になっているAR(拡張現実)系のサービスとして展開されたとしたら、AR自体はツールでしかないにも関わらず「事故物件を広めるためのサービス」という色がついてしまい、ツールそのものも批判を浴びたのではないか、と思います。
企業としてこういったシステムを構築できるか?と聞かれれば技術的には可能だが倫理的に難しいと言わざるを得ないでしょう。しかしAR系アプリやgoogleマップのように「住所とそれに対するコメントを入力したら地図上に配置されるシステム」という一般的な仕様で発注を受けたら作ってしまうと思います。そのこと自体はまったく悪いことではないですが、もしそれが事故物件管理に使われ、社会問題化し、『SIerの●●社が構築』と報道されればSIerもマスコミの前に出て何らかの説明を果たさなくてはならないでしょう。
さてこういったサービスですが、現実的にはそう難しいものではありません。もっともつらいと思われる24時間Webサイトをクローリングするインフラというのはクラウドコンピューティングが現実化したことにより解決されてしまいました。あとは日本中のニュースサイト、特にローカルなニュースの詳報が出る地方の新聞社のWebサイトから住所に関係する事件を軒並みクローリングするだけです。
思いつくニュースサイトをいくつか調べてみましたが、思ったよりも住所が出ているニュースというのは少ないものです。しかしゼロではありませんでした。おそらく、警察発表では住所を含めた形になっているところを報じる側でカットしていたり、警察は特定していない形で発表したところを取材して公開したりしているのではないかと思われます。
これまで一般の人は新聞記事を大量に溜め込むことも検索することもできませんでした。せいぜい図書館でマイクロフィルムや縮刷版を探すのが限界だったと思います。それがITの進歩により、1件1件はあまり価値のないニュースでも収集、整理してデータベース化することで意味を持たせることが可能になりました。今回は事故物件という切り口でしたが、他にも様々な危険が放置されているように思います。例えばひったくりや窃盗の被害金額を収集し、地区ごとに集計すれば「被害額が高い地区と低い地区」がわかるかもしれません。交通事故の多い時間帯、多い場所を調べれば、保険金詐欺がやりやすいかもしれません。
家の近所で事件があったと聞けば、ゴシップ目的でなく自分を守るという目的で詳細を知りたいものです。だからといってマスメディアを通して詳細な情報を送ってしまえば、それをマスコミが意図する「必要としている人に必要な情報を送る」という目的の外で利用する人が出てきてしまいます。これはもちろん紙の時代からやればできることではありましたが、自動運転によるDB化から世界に向けて公開することが比較的容易にできてしまうという状態については考えていくべきであると思います。
裁判員制度の導入により裁判員に予断を与えないために報道ルールの見直しが進んでいるとのことです。また、記者クラブも開放に向けて動き出しました。それらと一緒に「もはやニュースは流れるものではない」ということについても考慮されると良いのではないかと思いました。