オルタナ4周年。日本のブログは思春期のイライラから悩める青年期へ
本日でITmediaオルタナティブブログが誕生して4周年だそうです。おめでとうございます。自分は2007年の4月から参加しましたので、オルタナの歴史の半分をともに歩んできたというところです。
昨年末にはシックスアパート社の日本法人の5周年記念パーティなどありました。日本でブログが盛り上がってきたのは2002年頃からと言われていまして、今は多くの人がブログを書いています。そんな中でブログで犯罪告白や偏見などを晒してしまって炎上するということが後を絶ちません。しかし傾向としてはそういった発言は身内だけ「っぽい」感じのあるSNSに集まりつつあり、ブログに個人が特定できるかたちで問題発言をするということは非常に少なくなってきているように思います。
今の日本のブログの状態は、とにかく派手に炎上するという思春期のイライラから、青年期のぼんやりとした不安に移行しつつあるように思います。
ブログの扱い方や方向性などについて新たな問題が生まれつつあります。芸能人、力士、漫画家など個人プレイの方々は自由奔放にブログを使い、そしてそのメリットを享受しています。それを真似すべく企業やサラリーマンがブログに手を出すと思ったことが書けなかったり、書いてしまったことによる問題が思いのほか大きかったりという事実に気づきます。
私もサラリーマンであるわけですが、例えば自社に不満があったとして、それを心の中で思うことがあったとしてもブログには書きません。もし書いたとすれば自社の誰かに見つかって怒られるでしょうし、自社の人間でなくとも「やばい発言をしている人がいますよ」ということをおもしろがって広める人が現れる可能性もあります。それはいわゆる「たれこみ」により自社に通知されるという形になるかもしれませんが、ブログに直接に「お前は愛社心がない。サラリーマン失格だ」という直接の意見のやり取りになるかもしれません。
こういったことはブログやホームページなどに書いて形に残らない限りは特に問題になることがなく、新橋や有楽町あたりにいけば「うちの会社はだからだめなんだ」と否定モードで酔っ払っているサラリーマンの方というのは珍しくありません。もしそういった光景をビデオカメラで撮影して会社にテープを送りつけたとしたら、おそらくは撮影したほうの人間が「おかしい」と判断されるのではないでしょうか。
しかしながら公衆の場で他人に聞こえるような声で文句を言うのが良くてブログに書くのはだめというのは釈然としないところもあります。ブログだとリンクを貼るだけで膨大な数の人に知られてしまうということはありますが、反対にリンクを貼ることにより原本が確実に伝わるということもあります。対して公衆の場での発言というのは誰かに聞かれれば「噂」として広まっていってしまうものであり、原本が残らずに拡散するという意味ではブログよりも始末が悪いかもしれません。
またブログであればコメント欄などにより「どういう意味か」と意見をやり取りすることで議論が発生し何らかの収穫が生まれるかもしれません。結果として不平を書いた人の意見が世の中に認められることがあるかもしれません。またやはりおかしい、ということになればどこがおかしかったのか、なぜそんなことを書いてしまうに至ったかなどを掘り下げていくこともできるでしょう。
今のところ会社と社員の関係についてどこかのブログ上で問題が発生し、それをきっかけにこうした議論がネット上で繰り広げられたというところを見たことはありません。あったら注目を集めていることでしょうから、おそらくネット上での議論はまだ発生していないのではないかと思います。おそらくは実際に問題が発生したところでエントリを消したりコメント欄を閉ざすなどした上で現実側での対処が行われているのではないかと思います。
現実で許されることがネットで許されないという現象はブログ上の会社員の不満にとどまらず色々なパターンがあります。中には現実で許されていることの問題が非常に大きいのに関らず、ネットでは非常に微細なことでも問題になるというところがあります。未成年者の喫煙問題などはもちろん現実でもネットでも許すべきことでないのは言うまでもありませんが、現実で高校生がタバコを吸っているところを指摘する人の少なさからするとネットでの未成年者の喫煙告白がとても厳しいというのはおもしろい現象であるように感じます。現実で注意をしたら暴力を受けるなどの被害があるかもしれませんが、ネットなら匿名で一方向的に注意ができるということがあるのでしょう。また現実でもデジカメでこっそり写真を撮って高校に送りつけることができるかもしれませんが、非常にめんどくさいです。ネットならメールを送るだけですので簡単です。
上で青年期の不安と書いたのは、その先に大人の世界での活躍が待っていると信じているからです。ネットにはこうした特性があるので不平不満を述べてはならないんだ、ということを理解して「大人の対処」をすることが普通になればそれほどストレスをたまることもないでしょう。なんとなく書いてよさそうな感じもあるのにやっちゃだめらしいという微妙さが息苦しさを生んでいるのではないでしょうか。現実には例えば上司に対して心置きなく不満を言える場面というのはあまりありませんが、それでもそれで息苦しく思うことはありません。そういうもんだと思ってしまっているからです。
インターネットというと自由な世界を思い浮かべてしまいますが、現実とのリンクが深くなればなるほどそうした秩序も必要になってくるのではないかと思います。そしてその秩序を探す上で社会にとって新たな発見が生まれてくるでしょう。例えば臓器移植やクローンという技術が社会全体に人の死や命について問いかけたように、インターネットとブログという技術は会社と社員という古くからの関係に対して「愛社心とは」「組織とは」「働くとは」などなど多くの疑問を投げかけ始めているように思います。特に会社員になったときからネット・ブログがあった世代と、なかった世代との間ではおもしろい議論が生まれるのではないでしょうか。
おそらくそれにより会社や働き方に関して新しい考えが生まれてくるでしょう。既にブログで手痛い目にあってしまった人もおられると思いますが、何年かして「あの時のあれは産みの苦しみってやつだったんだね」と過去を懐かしく思える日が来ることと思っています。
オルタナの皆さん。いつか日本のブログが立派な大人になる日を夢見てブログを書いていきましょう。