曲がった杖をついていないか
おかしさを受容してしまっていないでしょうか。
朝、私が最寄り駅に行く途中でよく目の不自由な方とすれ違います。ゆっくり歩いておられるので追い抜くのですが、最初は「こちらに気付いているかな?」と不安でした。もう相当な回数横を通ったことになるでしょうが、一度も危ないことはありません。あたりは見えていなくても、杖や耳で周囲を把握しておられるのだと思います。
子供の頃に学校で目の不自由な方の講演を聞きました。白杖(目の不自由な方が使う杖)についてこんな話を聞いたような記憶があります。
「あるとき、車とぶつかって白杖の先端が曲がってしまった。最初は困ったが、そのまま使うことに慣れてしまい何とも思わなくなった。ある施設に講演に行った際に、親切から白杖を直してくださった方がいた。しかし曲がった杖に慣れてしまっていたので使いこなすのに大変な苦労をした」
目が不自由な方は白杖の感触をとても敏感に感じ取っているそうです。この話を思い出し、ふと気になることがありました。曲がったままの杖=不便なもの、正常でないものに慣れてしまって、まっすぐな杖に戻れなくなるという現象です。
情報システムの開発においては、予期せぬ理由により設計当初の思惑通りに動作してくれないことも少なくありません。そういった曲がった杖のようなシステムを我慢して使い続けていると、いつの間にかそれを普通に感じてしまうようになります。そうなってしまうとまっすぐな杖に戻ることができなくなるかもしれません。
具体的に言えば、何らかの事情で異常な運用を続けていたために業務の流れがおかしくなり、パッケージソフトが想定するような標準的な業務とはまったく違う業務プロセスになってしまうということがあるでしょう。私が聞いた変な話では、ある会計システムで赤伝票を切る操作が面倒であったために「昭和15年1月1日」のデータを「平成15年1月1日」の相殺データとして扱う、という気持ち悪い運用があったという話を聞いたことがあります。
自分がSEとしてお客様に対峙する時はお客様の「曲がった杖」を直すよう努力するわけですが、自分を会社に所属するサラリーマンとして見てみるとまっすぐな杖を使っているかどうか自信がありません。交通費の清算、メールの送受信、連絡物のチェックなど自分なりに合理的な方法をやっているつもりではありますが、ひょっとすると不合理なところがあるかもしれません。
またシステム開発の作業でも、専用エディタへの関連付けを行わずにファイルをメモ帳で編集したり、リポジトリがあるのに日付ごとにフォルダを作って手動でファイル管理を行ったり、わかりやすいホスト名をつけずにIPアドレスで運用を行ったりと不合理な進め方をしている部分があるようです。
毎日のように繰り返し行う業務では、一旦あるやり方を普通と思い込むと、自分自身でその正当性を確認する事が難しくなります。時折、自分の杖が曲がっていないか確認しなくてはならないですね。
# 余談ですが、目の不自由な方が信号機のない横断歩道などで困っておられるところを見た場合は、「お手伝いしましょうか?」と声をかけてから手を触れるようにすると良い、とのことです。いきなり肩や腕に触れると驚かせてしまいますので注意が必要だそうです。