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5円玉を、見つめてみました

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世界でも珍しい穴の開いた硬貨であり、アラビア数字が書かれていない硬貨である5円玉を見つめてみました。

農業、工業、水産業、林業、あれ?商業……

5円硬貨

5円玉には農業を意味する稲穂と、水産業を意味する波、工業を意味する歯車、林業を意味する双葉が描かれています。これらは5円玉が鋳造された時代と関係しています。というのも5円玉は昭和24年(1949年)という戦後間もない時期に、戦争で生まれた大量の薬莢を原料にして作られたそうです。その時期の日本と言えば農業、水産業、工業、林業のどれもが荒廃していたことからそれらが発展して欲しいという願いが込められたようです。あれ。商業が含まれていませんね。「五円」という部分が商業なのかもしれません。

農業・工業・商業の関係

林業と水産業を置いておきまして、農業・工業・商業はお互いに支えあっています。江戸時代には士農工商なんていう階級制度が生まれました。誰が偉いかというのは別として、農が一番最初に生まれたというところは間違っていないでしょう。人類の発展は農業から始まりました。狩猟採取に頼ってその日暮らしをしていた人々は農業技術の獲得により定住をします。コミュニティの誕生はコミュニケーションにより技術の蓄積を生みます。農業技術の地道な進歩が暇人を生み出し、働かなくても食べていける人が現れます。器用な暇人は工業を興し、口が上手かったり健脚だったりする暇人は商業を興します。工業の発展は道具や機械の発明により農業生産を一層発展させますし、商業の発展は足りないものを他の土地から運んでくるなどして農業生産を一層発展させます。

農業が発展すると暇人が増える

農業の生産性が向上すると、一層暇人が増えます。そうするとさらに商業や工業が発達します。こうしていると商人が交換するものの種類も増えて交易が活発になり、工業も農業用道具・機械の作成から装飾品や武器など様々なものを作るという方向に発展します。あまりに暇すぎて巨大な墓を作ったりする人も出てきます。しかし工業というのは職人技の世界であり、よいものを作る技術は向上しても、たくさん作る技術はなかなか向上しませんでした。

先に発展を遂げたのは商業

一方商業はそれなりに地道な発展を続け、船で海を渡ろうとか、船便は時間がかかるから為替というものを使おうとか、為替を売買してしまえとか、為替を売買できるならまだ収穫していない米だって売買できるんじゃね?とか、ならチューリップの球根とかすごそうじゃね?とか、航海するのに金かかるから薄く広く出資を募らない?とか、航海で儲けた金どうやって分配するよ?とか、航海するたびに清算してたら面倒じゃね?っていうか出資者に会計をちゃんと報告しないとやばくね?というノリと勢いで進歩します。為替も市場も会社も驚くほど歴史が古いものが多いです。

工業が発展すると商業が頑張る

工業の発展が商業に極めて大きな影響を及ぼすのは1900年代の大量生産時代を待つ事になります。それまでは作ったものが余るということは珍しい現象でしたが、動力の革命から化学の発展等これでもかと言うほど集中的に工業が発展しました。商品がたくさん作る事ができるようになりました。当然作りすぎました。作っても売れなくなりました。アメリカ人がマーケティングを考えました。商人がこれまで以上に頑張って売るようになりました。アメリカ国内では儲けるのに限界がありました。(略)世界を巻き込んだ戦争になりました。日本は負けました。そして五円玉が誕生しました。

工業と商業が頑張ると凹むヤツがいた

5円玉への熱い思いがそうさせたのか、日本は復興します。(略)高度成長をしました。ものを作る人がたくさんいますし、ものを買ってくれる人もたくさんいます。1955年にはマーケティングが日本に輸入されました。農家の皆さんも頑張って農業生産を増大させ、商工業の発展に寄与しました。そうやって頑張ってものを作って売っていたら凹むヤツがいました。地球です。環境が壊れました。忘れ去られていた水産業・林業の事も思い出して環境の事を考えるようになりました。

地球は無限の広さではない

経済学は経世済民といって世をはかり民を救う学問ですので資源の有効な配分にはこだわりがありました。一部の金持ちが資源を独占し、貧しい人が困る事が無いよう話し合う努力をしつつ資源を分け合ってきました。しかし経済学でメジャーだったのは配分するところまでです。地球が無限の広さでは無い事、すなわち人間が汚せる限界がある事に気付くまでなかなか時間がかかりました。負の経済と言われる廃棄物やCO2の問題は、失業や利子率などの中心的な研究分野になってこれなかった期間が長かったように思います。そのような経済学上の論理とは別に、企業が実践的に環境問題に取り組むことで持続的な発展を目指すという考えは1900年くらいに伊庭貞剛が鉱山の開発で実施していました。しかしその後6,70年くらいは戦争の影響などもあってかメジャーな考え方ではありませんでした。そして現代に至り、ホンダのCMで

 「地球は宇宙からみればちっぽけな小さな部屋のようなもの」

というメッセージが伝えられています。ここに来て商業と工業は環境について考えざるを得なくなっています。そして商工業面からの働きかけによるバイオエタノールの生産増加により農業が影響を受けました。農産物の価格が上昇しています。そもそも農家の人が他人の口に入る農産物を作ってくれているからこそ、商業と工業が成立するのだということを意識させてくれる現象です。農業も工業も商業もそれぞれが大きく発展し過ぎて地球の広大さに対して影響力を持つまでになってしまったと言えるのではないでしょうか。

未来

だからこの先どうするかということは全然わかりません。少なくとも人間が食べるものを工業的に合成する方法が実用化されるのは遠い将来であるように感じます。そうするとやはり農業こそが人類発展の基礎であり、優先して守り育てていかなくてはならないように思います。その土台の上に資源の枯渇や環境への負荷を考えた工業・商業的発展があり、自然と調和した水産業と林業があるのではないかと思います。

農業・商業・工業・林業・水産業を司る5円玉の穴から覗いて見れば、地球の未来のことがもっと良く見えるかもしれません。

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