手書きの文字に携帯電話のフォントが影響する?
小学校の時に4年ほど毛筆を習っていました。あまり上手にはなりませんでしたが、文字の成り立ちの勉強になりました。
書道教室に通っている真っ最中は、普段からきれいな字を書いていたような記憶があります。自分の文字が崩れ始めたのは高校に入ってからです。受験勉強をし始めたあたりから独自のフォントをつづり始めました。修悦体ではありませんが、この頃から自分で自分の字をみて自分の字だとわかるような文字を書くようになりました。
最近になってまた自分の文字が変化してきたようです。どこがどう変わってきたかわからなかったのですが、今日ノートを見つめていて何となく気付きました。LCフォントに似ています。LCフォントとは液晶画面に表示するためにバランスが調整されたフォントです。画面で目にする文字と印刷した文字は別々のフォントになっています。特に、携帯電話の液晶画面はあまり大きくありません。すなわち使えるドットの数が少ないため、線を間引いたり、互いにくっつかないはずの線をくっつけたりするなど思い切って文字の形を変えて表示されています。シャープによるLCフォントの解説ページを読むと色々な努力が行われていることを知ることができます。
それらのフォントが自分の字に与える影響の中で特に大きいものとして、ごんべんとしんにょうが簡略化されているように感じます。一応、行書を少しだけ習ったことがある立場からして、正しい崩し方でない事はわかります。 これから子供に字を教える立場になるのにこんな怪しい漢字を書いていてはいけませんね。
フォントと言えば、漫画の「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の「葛」という字にはフォントに関するもう1つの問題が絡んでいます。この問題は考え始めると目と頭が痛くなってくるような細かい問題です。他にも天下の朝日新聞でもその字体は朝日文字と言われるものです。三条実美が書いた官報の『報』の字も普通の字体ではありません。と、書いていると普通の字体ってなんだろうか?と考えてしまいます。また、最近では日・韓・中・台湾の漢字を統一しようという動きも(ごく一部には)あるそうです。
フォントという統一された字体にさらされることで、我々の書く文字が変わることがあるとしたら大変な事だと思います。 確かにLCフォントにより、高額で精細な液晶画面を買わなくてもPCを便利に使うことができます。また、高速道路や駅などで使用されるフォントはほんの一瞬で文字を読み取るために工夫が凝らされており、生活を便利にしてくれています。テレビの音声を通して言葉遣いの乱れが伝播するという事は社会問題としてよく話し合われますが、フォントの良いところ悪いところとどのように付き合っていくかも考えたほうが良いのかもしれません。自分のノートに書いた『葛』の字の下の部分が『ヒ』になっているのを見て、そのように感じました。