その会社は誰のために存在するのか、という定義づけについて
2000年を前後して、僕は営んでいた会社(日広)の規模を一気に大きくすることを決めた。
そこで、新たに取締役を三名、(社内からではなく)外からお招きした。
それが橋口誠さん、名児耶和峰さん、本間広宣さん、である。
一人ひとり口説いて、最初から取締役としてお越しいただいた。
それは僕の、会社の、間尺を変えるためであった。
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僕はネットバブル('99-'00)の急拡大と大破綻を通じて、会社とは3つの種類或いは区分に分けられるということを思い知らされた。
株式会社日広('92年8月創業 現 GMO NIKKO株式会社)は雑誌専門の広告会社だった。
それが、1996年からいわゆる「パソコン雑誌」の広告を主にベンチャーのISP(ネット接続事業者)に売ることに傾注するようになったあたりからネット広告に徐々にシフトしていった。
それまでの僕は雑誌広告を売る、売りまくることを心から楽しんでいた。
なんとはなしに、成り行きで始めた雑誌広告の代理店業務だったが、やっていくうちにこれは天職ではないかとも思うほどに、のめり込んでいった... はずだった。
ところが、熊谷さんが次第にインターキューにシフトしていくうちに、そのままにネットバブルの熱狂に覆われていくうちに、それまで感じていた、考えていた、仕事やお金儲けについての考え方を根本的に考え直すようになっていったのだ。
それまでの日広は、自分のため、自分の楽しいことをするため、のビークルだった。
それで良いと思っていた。(もちろん、それでもいいのだ。)
でも、会社とは違う目的のために存在することが出来るんだ、ということを知ったのだ。
そして、僕は会社をメンバーひとりひとりのための、メンバーの成長のためのビークルにすることにした。
それで経営者を増やすことにした。役員を実質ひとりから4人に増やしたのはそのためだ。自分より優秀な人を役員に迎えたのだ。
さらに、いや、ほぼ同時に、
僕はインターキューの株式公開の一部始終を間近につぶさに視て、もっと先の段階も選べる、ということを知った。
それは会社を、社会のためにつかう... オープンな存在にすることで、多くの人の、社会の公器として利用するためのビークルにもできる、ということだ。
すなわち会社とは、その目的に応じて、その姿を変える(変体:メタモルフォーゼ)ことができるのだ。(変えてもいいし、変えなくてもいい。)
会社とは、その目的によって、3種に大別できる。
それは
My Company わたしの会社
Our Company わたしたちの会社
Your Company みんなの会社 だ。
日広は、2000年に「わたしたちの会社」にスイッチした。
取締役を実質1人から4人体制にしただけではなかった。
99年に10人だったメンバーも、6年後は連結で180人にまで増えた。
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昨日はリー・クアンユーさんの国葬だった。
生中継されてた葬送をみながら、リークアンユーさんは、シンガポールという国を、どんな役割を担うビークルにしようとしたのか、考えていた。
リー・クアンユーさん、ありがとうございました。
貴方はすばらしい創業者であり、経営者であったと思う。