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凸凹ディレンマから抜け出そう:発想が求められる会議に役立つ視点

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今日は、妹の結婚相手のお披露目も兼ねて、久々に親族が集まり、実家にてどんちゃん騒ぎだったのですが、そんなときにふと親父を見ていて思い出したのが、今回のテーマ「凸凹」の話です。これは、教育学において、特に父親に対する反抗期がどのような意味を持つか?ということに関係しているのですが、この「凸凹」については、反抗期後の社会人、ビジネスでのやりとりにも多いに関係のある話ですので、今回ご紹介したいと思います。

■今回の要旨
*反抗するというのは、実は完全に相手にコントロールされていることを意味する
*反抗期に「凸凹」の関係になるのは、親の強みを引き継ぐ総決算として多いに重要
*成熟した後でも、相変わらず凸凹に支配されがちなのは自由な発想を阻害するから気をつけよう

■凸に対して反抗するとき、自分は凹になり、相手の形にコントロールされている
アメリカの著名な教育学者、ジョン・デューイが著書「学校と社会 (岩波文庫) 」にて指摘していることなのですが、反抗期の親と子供の関係では、実は親の姿に対して反抗する子供は、親と真逆になろうとする結果、親の姿に見事にコントロールされています。
これは、言い換えれば、凸という形を親がしていたとしたら、子供はそれに真逆になろうとして、凹という形になる、ということを意味しています。
例えばですが、親が「一つのことに専念してやり遂げるっていうことを大事にしなきゃあだめだ!」と主張すると、子供は「一つのことばかりに固執していると、視野が狭くなってしまい、たいしたことが成し遂げられないから、多くのものにいろいろとチャレンジしなきゃだめだ」という風になり、一つのことに専念することや、ある程度的を絞ってチャレンジするという考え方、選択肢を表明したり、実際に履行してみたりしづらくなってしまうわけです。

この関係に人と人があるとき、一方の人の考え方や姿勢などによって、もう一方の人の考え方や姿勢などは完全に影響を受け、そこに自由な意志や発想などが無くなってしまいます。

これが、「凸にコントロールされた凹」という状態です。

■反抗期にはこの関係が重要
では、このプロセスは不毛なもの、抑圧されたもの、という悪いものかといえば、決してそうではありません。特に、反抗期の父親と息子の間では、この凸凹の関係は非常に重要です。

父親が持っている元来の強みや、生きてきた上での重要な知恵/人生訓というものに、反抗期で真っ向対立することで、実は上記の凸凹による状況が発生し、息子は完璧に父親を否定することで、父親が持っている強み/生きてきた上での重要な知恵について、強烈に意識し、それを自らに取り込むのか否かを迫られます。さしずめ、凸という烙印を押し付けられて、いやがおうにも凹という形にいったんへこみ、そのことから避けて通れなくなる状況とも言えます。

そして、その反抗期の期間中、親と反対のことをやってみたり、逆に無意識に気づいてみたら「親と同じことをやっている」という自分に気づいてみたりして、どちらが本質的に自分に合っているのかどうかを試行錯誤することになるのです。

この強みについては、本人が受け継いだDNAがどのように発現し、さらに強みとして成長してきているか、あるいは母親側の強みや人生訓にどのように影響を受けているか、さらにこれまでの環境にどのように影響を受けているか。。。と、様々なファクターによって決まってくるため、必ずしも父親の強みが自分にあてはまるかどうかは、分かりません。

ですが、このプロセスを経由することで、明確に、自分の父親が持っている強みを持つのか、あるいは捨てるのかということが行われるわけです。

これが、凸凹の関係が価値を発揮する、典型的な状況となります。必ずしも、凸凹の関係で捕われるのは、悪いことではありません。

■悪い意味で凸凹に捕われないように日々気をつけよう
ですが、この凸凹の持つ問題点として挙げられるのが、まさに相手に対して反抗的なアプローチを取り続けることにより、多様な発想が求められる場面、例えば新たなマーケットを作り出そうとして、色々な観点からサービスを設計しようとする場面などでは、この凸凹な姿勢が害をなすことが少なくありません。

新しいマーケットを創出しようとするときの難しさは、そのマーケットそのものがまだ存在していないため、果たしてそのサービスが受け入れられるのか、何も根拠なく(マーケティング調査なんて、後付け講釈はさておき)議論したり、お互いの経験から物事をいっていったりするときに、ある観点に反抗的にアプローチするのは、思考をスタックさせてしまいます。「若い人は、スマートフォンを使うから、あまりPCでのサービスを展開しても仕方がないよ」「いや、若い人はスマートフォン以外も実際には使っているから、PCはやっぱり大事だ」というような具合です。ここでヒートアップしすぎると「スマートフォンを若者は使うか否か?」というポイントばかりクローズアップされ、限られた時間で、観点が減ってしまいます。

こうしたことを防ぐために有用な考え方が、「仮説保留」というものなのですが、これは「とりあえず、その部分は分からないから、いったん置いておこう。ただ、僕の仮説としては、ここは使う人が多いと思うんですけれどね。」という風に、前提として「どっちかは明確にわからないよ」ということを表明し、その上で「根拠なき予測」を提示し、それに基づいて考えを提示しておく、という姿勢です。

普段の職場やチームでの議論、あなたは凸凹に陥っていたりはしませんか?

それでは

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