オルタナティブ・ブログ > 平凡でもフルーツでもなく、、、 >

感覚人間の思いつき、、、気になった記事、、、雑記等

今回の暴走事故はリクスのあるドライバーへの免許返納の契機となったのか?

»

今朝ジョギング中に、脇道から急発進してきたバンと接触しそうになり焦りました。

老人ホームの送迎用のバスで、運転席を見ると老人まではいきませんが、少なくとも中高年者が運転していて、何とも言えない高齢化社会の縮図を眺めた気分です。

世間は10連休の真っ只中で、運転する機会も増えているかと思います。ここでふと思ったのは、今回の暴走事故を契機にどれだけの高齢ドライバーが運転を自粛したのかな?と

経験が不足しているドライバーによる無謀な運転も歩行者にとってはリスクです。

ですので、高齢者の運転だけを批判したいのではなく、自分自身のリスクを適切に認識できず、過信して望まない結果を招いてしまう。

つまり経験不足、高齢者はあくまで構成要素であって、物事のプロセスは同じだということです。

自分も含め、人間は自分が間違っているという立場で物事を考えるのが苦手だと思います。たいていは、自分は間違っていないというところで物事を考えます。

90歳を超える自分の親を見ていても、一度自分なりの考えが定着してしまうと、その変更を受け入れてくれない...と感じる場面に出くわすことが増えました。

自分自身も、80歳、90歳になって、周りから衰えを指摘され、行動を制限されるような場面になって、素直に「はい、わかりました」と言えるのかは不明です。

身の程を知るという言葉がありますが、人生において客観的な結果を受け入れるのは、屈辱的な場面もあるでしょう。

こうやって、システム的に眺めることによって見えて来るのは、高齢者にいかに免許を返納させるか、運転をやめてもらうかではなく、運転することには必ず事故のリスクが伴い、客観的な判断ができない人の場合(高齢者だけでなく、その他の無謀な運転をするドライバーを含め)他者もリスクを抱えることになるということを認知してもらい、これを契機として自身の判断として運転を自粛してもらうような仕組みができるのが理想的なのかと思います。

理想と現実のギャップ、制度を考えることと、実行することの違いは大きいです。

ですが、10連休の後半に差し掛かり時間の経過と共に、高齢者による暴走事故の記事に埋め尽くされていたものが、あっという間にゴールデンウイークと皇室の話題に塗り替えられているのを見て、ちょっと書いておこうと思ったのでした。

Comment(0)